是枝裕和が韓国へ渡り、ソン・ガンホをはじめとする韓国の俳優たちと作り上げた一本。赤ちゃんポストに預けられた命をめぐって、違法すれすれの行為に手を染めながらもその子の幸せを願う人々が旅に出るロードムービーで、善悪の答えを出すことより、答えの出ない複雑さごと人と関わり続けることを描いた作品だ。
視聴方法
Prime Video、U-NEXT、FOD、TELASA、Lemino、Netflix、J:COM STREAM、TSUTAYA DISCAS、music.jpなど複数のサービスで取り扱いがある(2026年10月時点)。見放題・レンタルの区分や最新状況は各サービスで要確認。
あらすじ
韓国の「赤ちゃんポスト」に預けられた赤ちゃんを巡り、ブローカーのサンヒョンと施設職員のドンス、そして思い直して戻ってきた母親ソヨンが、養子先を探しながらともに旅をすることになる。秘密裏に売買を行う一行を追う刑事たちの視線が絡みつくなか、違法な行為に手を染めながらもひたむきにその子の幸せを願う人々の姿が、ロードムービーの形式で綴られていく。
見どころ
是枝裕和が韓国の地で問い続けたのは「ひとつの命をどう肯定できるか」だ。その問いが、韓国の俳優たちの身体を通してロードムービーの形で積み上がっていく。
母親ソヨンの行動が「わかる」に変わる瞬間
序盤、ソヨンという人物の行動は意図がつかめない。自ら子を手放しながら、なぜ旅に同行するのか。その真意が少しずつほどけていく後半の引力は強く、観終わったあとに序盤を振り返ると全く違う景色が見える構造になっている。
善悪ではなく、余白で描く是枝流ロードムービー
各地を車で移動するなかで、登場人物たちは互いの立場や行為ではなく、人柄と言葉を少しずつ知っていく。是枝裕和監督が得意とする「時間の共有による関係の変容」が、韓国の風景の中でも滲み出るように機能している。
ラストが残すもの。結末をネタバレなしで読む
後半のソウルパートは決定稿をあえて作らず現場の流れでラストを決めるという方法が取られた。結末そのものはここでは書かない。ただ、見終わったあとに残るのは温かみであり、生まれてきたことへの静かな肯定だ。物語が設定したあの状況を経て、なぜそういう余韻になれるのか。それ自体がこの映画の核心だと思う。
ソン・ガンホが体現する「複雑な善意」
第75回カンヌ国際映画祭の男優賞を受賞したソン・ガンホの演技は、善意と打算が同居する人間の複雑さを力みなく見せる。韓国映画としての受賞も初めてという快挙の背景には、テイクごとに異なる顔を見せるというソン・ガンホの現場での存在感があった。それがあるからこそ、後半に向かうにつれて彼の存在が温かく感じられていく。
制作背景
是枝裕和が手掛けた初の韓国映画であり、監督・脚本・編集の三役を一人で担うという従来のスタイルを韓国の現場でも貫いた作品だ。
是枝裕和はなぜ韓国で撮ったのか。企画の起点
企画の始まりについて是枝監督は、ソン・ガンホやカン・ドンウォンとは映画祭での交流が縁であることを語っており、「2016年頃にふと思いついたプロット」があり、「これなら自分の頭の中にいる韓国の役者の方々と一緒に映画が作れるのではないかと……その思いつきがきっかけでした」と説明している。赤ちゃんポストについては「日本にも存在していて、前から関心を持っていたが、韓国にも同じようなものがあると聞いた」ことが、舞台を韓国に据える決め手になったという。当初の報道では英題を『Baby, Box, Broker』と表記するメディアもあり、赤ちゃん・箱・売る人という三つの要素をどう動かすかが物語の出発点だったと語っている※1。
キャスティングの経緯。手紙とコロナ禍の韓流体験
ソン・ガンホとカン・ドンウォンとは釜山国際映画祭をはじめとする複数の映画祭での交流が縁であり、ペ・ドゥナとは2009年の『空気人形』での主演後に「次は人間の役で仕事を共にしたい」と約束していたことが出演につながった。サンヒョン役については「韓国の俳優の中で誰と一緒に作品を制作したいかという質問に、いつもソン・ガンホを挙げてきた」と是枝監督は語っている※2。イ・ジウンとイ・ジュヨンのキャスティングについては、監督がコロナ禍で韓国ドラマにハマったことが直接のきっかけになったという。
撮影前には韓国人の主要キャストそれぞれに手紙を書いて渡すという手法を採った。台本を渡すだけでなく、役者が内側でじっくり咀嚼してから演技に持ち込める環境を整えるための試みで、言語も文化も異なる現場で是枝監督が選んだひとつの誠実な橋渡しだった※3。
カンヌでの2冠と12分のスタンディングオベーション
第75回カンヌ国際映画祭の公式上映では、今回の映画祭出品作史上最長の12分にわたるスタンディングオベーションが起こった。授賞式ではソン・ガンホが男優賞を受賞し、エキュメニカル審査員賞とあわせて2冠を達成した。是枝監督作品での男優賞は2004年の『誰も知らない』(柳楽優弥)以来18年ぶりとなる※4。
韓国で映画を作った理由については「武者修行という意味合いもあった。異国の地できちんと言葉にして伝えないといけない環境は、演出家としていい訓練」と明かしており、撮影を通じて「命をどう肯定できるか」を考え続けていたとも語っている※5。後半3分の1にあたるソウルパートは決定稿をあえて作らず、現場で撮れた芝居や流れに応じてラストを決めるという方法を取った※1。
受賞スピーチで是枝監督は「捨てられたひとつの命が、社会という少し大きな箱の中で見つめられて育てられていくという話にした」と語っている※6。
感想
最初、ソヨンという人物の行動が全く読めなかった。子を手放しながら、なぜ一行と旅に出るのか。何が彼女を動かしているのか、序盤のうちはその輪郭がどうにもぼやけたままで、正直少し距離を感じていました。
でも、それが最後まで見るとちゃんと回収されていく。「最初の読めなさ」ごと、物語が引き受けてくれるんです。終盤に向かうにつれて、序盤の彼女の行動が違う意味を帯びて見えてくる。この設計は、かなり丁寧に計算されていると思う。
「子供を売ることと捨てること、どちらが悪いか」と言い合うシーンがある。観ながら一瞬、自分もその問いに引き込まれた。でも映画は、その問いに答えを出しません。出そうとしない。善悪というフレームをのらりくらりとかわしながら、「答えを出せない複雑さのまま人と関わっていくこと」をロードムービーの形で見せていく。
ソヨンが子供の値段をつけられることに怒るシーンが印象に残っています。あれは金額への怒りではないと思う。「この子を大切に育ててくれるかどうか」への怒りで、金額はその指標の一つに過ぎない。むしろ彼女は、タダでも構わないとさえ思っていたんじゃないか——終盤を見ていると、そんな気すらしてくる。子供への愛し方を、なるべく持たないようにしながら持っている、あの距離感。愛したいけど愛してはいけないという葛藤を、是枝裕和監督はセリフじゃなくて関係性の変化で描いていました。
ロードムービーという形式を選んだのは正解だったと思います。車の中、宿、食事。同じ時間と空間を共有していく中で、立場や行為が少しずつ後退して、人柄が前に出てくる。互いに完全には分かり合えないとしても、同じ経験を積み重ねていく中で「この人はどういう人か」が少しずつわかってくる感覚。そのプロセスが、じんわりと映画全体に積み上がっていきます。
ただ、観ながらいくつか疑問も残りました。サンヒョンがブローカーをしている背景に借金があることは示唆されるけれど、なぜその借金を抱えることになったのか。ドンスが彼に協力する動機も、あと少しだけ拾ってほしかった。不正なルートで養子を迎えた家族のその後も、現実的に考えるといずれ問題になるのでは、という疑問も頭をよぎる。物語の核心とは別のところで、省略が多い部分はある。
でも、そういう疑問を抱えながらも、最後には温かさの方が勝ります。テーマとして掲げているものは重く、法的にも倫理的にも簡単には擁護できない行為が描かれているのに、見終わったあとに残るのは人の温かみです。
是枝裕和監督が一貫して問い続けているのは、生きることの肯定、だと思う。家族とは何か、という問いに向き合い続けてきた監督が、今度は「生まれてきた命をどう肯定するか」という問いを韓国という場所に持ち込んだ。言語も現場のルールも違う異国で、同じ問いを別の手触りで見せてくれた作品でした。
生まれてきたことを、肯定してくれる映画でした。
他の人の見方
「2004年の『誰も知らない』で柳楽優弥がカンヌで男優賞を受賞した時も主人公の少年に生命が宿っていた。是枝裕和監督は『映像の中に生命を宿す』名手」という見方が映画.comのレビューには挙がっており、疑似家族の描写に加え「自分は生まれてきてよかったのか」というテーマへの共鳴が読み取れる。
「刑事という外部の視点を配し、ロードムービー形式にしたのは、是枝監督が韓国のスタッフとキャストで製作した韓国映画であることと無関係ではないだろう」という読みも面白い。異邦人として韓国を旅した監督の視点が、刑事という外部者の目と重なるという解釈だ。
カンヌ国際映画祭のエキュメニカル審査員会は「血のつながりがなくても家族が存在できることをとても親密な方法で示してくれる」と受賞理由を語っており、疑似家族というテーマへの評価が国際的にも支持されていることがわかる※4。
こんな人に
・是枝裕和監督の「疑似家族」テーマに共鳴してきた人
・善悪の判断より、人間の複雑さを描いた映画を求めている人
・ロードムービーの形式が好きで、旅を通じた関係の変化を楽しめる人
・ソン・ガンホ、カン・ドンウォンをはじめとする韓国俳優の演技に興味がある人
・韓国映画を初めて観る人でも、日本の監督が手掛けた作品として入りやすい一本
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出典
- ※1 シネマート
- ※2 映画ナタリー
- ※3 映画.com インタビュー
- ※4 natalie.mu
- ※5 シネマカフェ
- ※6 SCREEN ONLINE


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