視聴方法
2026年6月時点、国内主要VODサービスでの配信は確認できていない。Blu-rayは2024年12月23日にハピネット・メディアマーケティングより発売済み。特典として、双子作品『GIFT』のライブパフォーマンス映像と大美賀均監督の短編が収録されている。配信状況は変動するため、各サービスで最新情報を確認してほしい。
あらすじ
長野県の高原に位置する小さな村・水挽町。シングルファーザーの巧(大美賀均)は、幼い娘・花(西川玲)とともに、水を汲み、薪を割るような自然に沿った暮らしを送っていた。ある日、コロナ禍で経営難に陥った芸能事務所が、政府の補助金を得てグランピング施設を建設する計画を持ち込んでくる。汚水処理の不備が村の水源に影響しかねないと判明し、東京からやってきた担当者と村人たちのあいだに緊張が走る。穏やかだった日常が、少しずつ揺れ始めていく。
見どころ
01. 自然の映像が、主役を張る
長野の高原の森と水と光。カメラは木々のあいだを縫うように、じっくりと風景を映し続ける。撮影を担当したのは北川喜雄。北川は濱口と東京藝術大学大学院で繋がりを持ち、『ハッピーアワー』(2015)などでもタッグを組んできた長年の協力者だ。音楽は石橋英子。言葉がなくとも何かを語りかけてくるような映像と音の層が積み重なり、スクリーンに独特の密度をもたらしている。物語を「観る」のではなく、その空間に「いる」感覚——それがいちばん近い。
02. 住民説明会という小さな法廷
芸能事務所の担当者と村人たちが向き合う説明会のシーン。互いの言葉が交差し、ぶつかり合い、それでも噛み合わない。『ドライブ・マイ・カー』(2021)でアカデミー賞国際長編映画賞を受賞し、ベルリン、カンヌ、ヴェネチアの三大映画祭すべてで受賞歴を持つ濱口竜介が一貫して取り組んできた「対話」のテーマが、ここでは都市と地方・外と内という構図のなかに落とし込まれている。
03. 鹿、タバコ、語られない理由
鹿が殺される理由は語られない。鹿による被害の報告も出てこない。環境への配慮を語りながら、タバコを吸う人物がいる。こうした小さな矛盾や空白が物語のあちこちに埋め込まれていて、観終わってからじわじわと効いてくる仕掛けになっている。
制作背景
企画の発端——石橋英子からの依頼
本プロジェクトはもともと石橋の発案で、彼女のライブパフォーマンス用の映像を濱口に依頼するところからスタートした。それが発展し、ひとつの撮影から石橋のコンサートで流すための無音の映像『GIFT』と、映画『悪は存在しない』の2つの作品が生まれた。
濱口の提案により、ライブ映像用に撮られた素材を用いてまず劇映画を完成させることになった。石橋は「私はすごくうれしくて、いったん自分のライブパフォーマンスも忘れて、まずは映画のための音楽を作ることに集中しました」と述懐している。※1
双子作品『GIFT』との関係
劇映画が完成したのち、同じ撮影素材をもとに編集・山崎梓が独立した編集を行い、ライブ用サイレント映画『GIFT』が誕生した。石橋は「でも山崎(梓)さんが新たに編集してくださったものがすごく面白くて、『悪は存在しない』とまったく違う体験になることがわかった。そこで改めて『GIFT』のための音楽も考え始めました」と制作の経緯を明かした。※2
同一の素材が、編集という行為によってまったく異なる体験へと生まれ変わる——その事実そのものが、この映画の問いを照らし返しているように思える。
キャスティング——スタッフが主役に
主演をつとめた大美賀均は助監督などをつとめていた制作スタッフで、本作でも本来は制作側に回るはずだったが、シナリオが完成する間際の段階で濱口から俳優として出演を求められたという。花役の西川玲(本作公開時9歳)は本作が初の映画出演となった。編集には濱口竜介と山崎梓が共同でクレジットされており、製作はNEOPA/fictive。
受賞歴
第80回ヴェネチア国際映画祭(2023年)にて銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞。同映画祭では国際批評家連盟賞(FIPRESCI賞)、映画企業特別賞(Premio CinemaSarà)、人/職場/環境賞(Fondazione Fai)も同時受賞した。※3
BFIロンドン映画祭2023では最優秀作品賞を受賞。第17回アジア・フィルム・アワード(2024年)では最優秀作品賞と最優秀音楽賞(石橋英子)をダブル受賞している。※4
この受賞により濱口は、ヴェネチア・ベルリン・カンヌの三大映画祭すべてで主要賞を受賞した、黒澤明以来と称される日本の映画監督となった。
感想
「悪は存在しない」というタイトルが、ずっと頭から離れなかった。
自然や地球という大きな括りで見たとき、善も悪もそもそも意味をなさない——ということだろうか。でも、それだとあまりにも単純すぎる気がした。
芸能事務所が「悪」として描かれてはいる。けれど、誰もが自分のために生きているこの世界で、誰かが誰かを裁けるのだろうか。視点を少しずらすだけで、村人側も「悪」に見えてくる。ただその人たちは、自分が悪だとは思っていない。つまりこれは認識の問題だ。悪を認識しない限り、悪は存在しえない。
物語の構図は「その土地の人々」と「外からやってきた人間」というわかりやすいものだった。濱口竜介が一貫して描いてきた「対話」というテーマが、今回はその形で立ち上がる。わかりやすい分だけ、個人的には少し物足りなさを感じてしまった。対話を丁寧に描けば描くほど、どこかで嘘っぽさが浮かんでくる——説明会のシーンがまさにそれで、重要な場面ではあるのだけど、あからさまに対話の大切さを語りすぎているように見えてしまった。
この映画を考察しようとするとき、「自分」と「他者」という考え方が手がかりになると思う。主人公の巧は、自分も「部外者」だと語る瞬間がある。内と外という区切りは、個人の中にしか存在していない。そのコミュニティ自体に「内側」という概念はなく、結局のところ人と人のあいだには常に他者という距離がある。
だとすれば、誰もが誰かを意図せず傷つけ得る存在だということになる。自分以外は全員、自分ではないから。完全に他者を理解することなど不可能で、だから善と悪の線引きそのものが、最初から意味をなさないのではないか。
自然と共存していると思っている村の人々は、鹿にとっては「悪」だ。理由も語られずに殺されてしまうのだから。善人に見えた男性が突然豹変する——あの場面は彼女を止めようとしているだけに見えるが、同時に死の気配を意図的に漂わせた演出だと感じた。この映画の登場人物のなかで、よっぽど「悪」に近い行動をしている。でも、その人物にとっては善なのだ。
立場が変われば、善も悪もひっくり返る。それは共存している複雑な概念で、矛盾そのものでもある。鹿の保全を語りながら定期的に鹿を狩る。自然と仲良く生きているように見えて、突然敵意をむき出しにする。世界はそういうものだ。巧の最後の行動は、自然から突然向けられる脅威や敵意を象徴しているように見えた。
ただ、過去作で描かれていた「わかり合えるという誤解が関係修復をより難しくする」という複雑性は、今作ではあまり感じられなかった。偶然に近い経緯から生まれた作品ゆえに、そこに力点が置かれていなかったのかもしれないが。
「悪は存在しない」ではなく、「誰もが悪であり、誰もが悪でない」——そういう問いを、静かな森の映像とともに手渡してくる映画だった。
他の人の見方
ヴェネチア映画祭では銀獅子賞(審査員グランプリ)に加え、国際批評家連盟賞・映画企業特別賞・人/職場/環境賞を同時受賞するという快挙を達成しており、国際映画批評の文脈では、自然と人間の共生をめぐる倫理的な問いを静謐な映像で描いた作品として高く評価されている。
この受賞によって濱口はヴェネチア・ベルリン・カンヌの三大映画祭すべてで主要賞を受賞した監督となり、黒澤明に比肩する存在として言及されることも増えた。
一方、濱口監督の前作『ドライブ・マイ・カー』(2021)や『偶然と想像』(2021)と比較したとき、対話の描き方がよりシンプルになったと感じる向きもある。あのラストシーンについては「衝撃的かつ詩的」という読み方と「唐突」という読み方が拮抗しており、考察の場でもしばしば議論になる箇所だ。
こんな人に
・善と悪の「答え」を出さずに問い続けることが好きな人
・日本の自然の風景を、ただじっくり眺めていたい人
・濱口竜介作品を『ドライブ・マイ・カー』から追いかけてきた人
・都市と地方の摩擦、開発と環境という問題に関心がある人
・映画をあまり観てこなかったけれど、受賞歴のある日本映画から入ってみたい人
関連商品
🎬 本作のBlu-ray
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出典
- ※1 ぴあ映画
- ※2 映画ナタリー
- ※3 IMDb Awards
- ※4 JFDB

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