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『ワイルドツアー』考察・感想|フィクションがドキュメンタリーに反転する瞬間(ネタバレなし)

『ワイルドツアー』考察・感想|フィクションがドキュメンタリーに反転する瞬間(ネタバレなし)

監督 三宅唱

主演 伊藤帆乃花、安光隆太郎、栗林大輔、伊藤己織

製作年 2018年

上映時間 67分

ジャンル 青春/ドラマ/ドキュメンタリー的フィクション


※本記事にはアフィリエイトリンクを含みます。


目次

視聴方法

2026年6月時点では主要配信サービスでの取り扱いは確認されていない。上映機会はミニシアターや監督特集上映を中心に不定期で発生するため、YCAMや劇場の公式情報をこまめにチェックしておきたい。

あらすじ

舞台は山口県・山口情報芸術センター(YCAM)。「山口のDNA図鑑」というワークショップに進行役として参加している大学1年生の中園うめは、中学3年生のタケとシュンとともに「新しい種」を求めて近くの森を探索していく。植物を採集し、街中を歩き、ごく普通の夏の日々を過ごす。67分、ただそれだけの話。なのに、いつの間にか画面から目が離せなくなっていく。

見どころ

1. フィクションとドキュメンタリーが溶け合う入れ子構造

劇中で題材となる「山口のDNA図鑑」ワークショップは、参加者が自分たちの暮らす街を歩きまわってどんな植物が生えているかを調べ、採取した植物からDNAを抽出して図鑑を作成する、実際にYCAMで実施されているプログラムだ。※1演じているのか、本当にやっているのか——その境界線が意図的に曖昧にされている。この構造こそが本作の核心であり、エンドロールで映画制作の裏側が明かされる瞬間、「見ていたもの」の意味が静かに反転する。

2. 素人の初々しさを逆手に取った演出の巧みさ

約8カ月にわたって山口に滞在し、ほぼ演技経験のない10代の中高生たちとともに映画を作り上げた。うまくはない。でも、だからこそ滲み出てくるリアルがある。「頑張って演技している」という事実そのものがドキュメンタリーになっている。その初々しさと、それに応える伊藤帆乃花の圧倒的な存在感が、不思議な化学反応を生み出している。

3. 植物も登場するエンドロールと音楽の心地よさ

エンドロールでは、演者だけでなく作中に出てきた植物たちも紹介される。それがとてもかわいい。音楽はHi’Spec、美術・デバイスデザインは岩田拓朗(YCAM)が担当。最後の最後まで作品の世界観が貫かれており、67分が終わった後、なんとも言えない穏やかな余韻が残る。

制作背景

本作は、山口情報芸術センター(YCAM)が実施する映画制作プロジェクト「YCAM Film Factory」の第4弾として制作された。2015年から始まったYCAM Film Factoryは、YCAMがアーティストや市民、さまざまな分野の専門家とコラボレートしながら、自由な環境で映画の制作方法から見つめ直すことで新しい映画・映像作品を生み出すことを目指したプロジェクトだ。※2

文化庁「平成30年度文化芸術創造拠点形成事業」の助成を受け、主催は山口市および公益財団法人山口市文化振興財団。監督・脚本・撮影・編集のすべてを三宅唱が担い、プロデューサーは杉原永純(YCAM)。YCAMインターラボとの共同開発という体制で完成した。※1

三宅とYCAMの縁は本作以前に遡る。最初の接点はYCAMが10周年を迎えた際に行われた「FILM by MUSIC 架空の映画音楽の為の映像コンペティション」への参加で、真利子哲也監督、瀬田なつき監督と共に関わった。プロデューサーの杉原永純とは、彼がオーディトリウム渋谷の編成を担当していた頃からの繋がりだった。※3

映画制作に先立ち、三宅はビデオダイアリー的なアプローチでYCAM滞在中の日常を記録しており、その素材を再構成したインスタレーション作品「ワールドツアー」を先に制作。三宅本人ではなく複数の人間が撮影した素材を三宅が編集するという手法で、「誰のものでもない視点」から世界を眺める独特の映像が実現している。※4『ワイルドツアー』はその実験の先に生まれた。

プロデューサー杉原氏から「最終的に映画でなくてもかまわない」という緊張感あるオファーを受けた三宅は、「なぜわざわざ映画をつくるのか」というゼロからの問い直しを迫られた。滞在制作中、演劇、ダンス、地域での芸術教育、最先端テクノロジーやバイオラボに囲まれながら、映画の役割を模索。ある時、地元の中高生たちから「やっぱり物語や劇も必要だ」と気づかされ、彼らとセリフを作り、何度も演じながら映画を発見していったという。※5

キャスティングは地元の中高生を中心に行われ、三宅監督はほぼ演技経験のない10代の中高生たちとともに脚本や演出を考えながら撮影を重ね、完成させた。メインビジュアルは写真家・ホンマタカシが撮影している。※1

本作は、2019年2月8日から開催された「第11回恵比寿映像祭」にて先行上映。その後、同年3月30日よりユーロスペースほか全国順次ロードショーとなった。※6

感想

作品を見る姿勢について、久しぶりに考えさせられた。

これがただのドキュメンタリーだったら、きっとここまで引っかからなかった。ただのフィクションだったとしても、おそらく同じ。でも本作はその両方であり、だからこそいい。そう素直に思えた。

等身大の少年たちが、少し大人のお姉さんにワークショップを通して恋をする。それだけの話。演技だけ見れば、やはり素人だ。初々しさはあるが、リアリティという意味では整っていない。けれど、合間に挟まれる「本当にワークショップをしている姿」を通して、彼らが”頑張って演技をしている”というリアルが表出してくる。これは入れ子構造のようなもので、濱口竜介(『ドライブ・マイ・カー』などで知られる映画監督)も使っている手法だと感じた。素人に演技をさせる時にこの構造は力を発揮する。そしてそれを明確にしたのがエンドロール。映画制作の裏側を見せることで、「この作品はフィクションというドキュメンタリーです」とわかりやすく伝えている。簡潔に言えば、メタフィクションを前面に押し出しているわけだ。

ただ、そういった構造の話を抜きにしても、素敵な作品だった。彼らの初々しい表情や言葉は、等身大の彼らそのもの。全てのシーンが微笑ましい。そしてそれに応える伊藤帆乃花の演技が、めちゃくちゃ良かった。良すぎて、演技をしているのか、本当のリアクションをしているのかすらわからない。なぜこんなにも素敵な演技になったのか。おそらくそれは、演技という枠を超え、彼女が本当に彼らにとってのお姉さんであるという関係性が存在しているからだろう。

エンドロールでは、演者だけでなく作中に出てきた植物たちも紹介される。その可愛らしさ。音楽も良く、全てが心地よかった。

松居大悟監督のワンカット映画『アイスと雨音』を少し思い出した。自分たちの舞台を上映するという若者たちを映し出したフィクション映画で、本作と似た工夫が施されている。ラストシーンでカットがかかった瞬間、彼女たちが互いに寄り添い静かに喜び涙する。演技外の部分まで映し出すことで、この映画がフィクションではなくドキュメンタリーだったことに気づかされる。

今村昌平監督の『人間蒸発』もふと頭をよぎった。途中までモキュメンタリーとして進みながら、終盤でその「嘘」を明かしてしまう。それでもフィクションは続いていき、やがて役者同士の演技のぶつかり合いが、もはやドキュメンタリーになっていく。とんでもない作品だったと改めて思う。

どの監督が言っていたのか忘れてしまったが、「ドキュメンタリーはそこにカメラが介入した時点でドキュメンタリーになり得ない」という言葉がある。カメラが入ることで第三者の視点を意識してしまうからだ。では、そもそもフィクションとドキュメンタリーに境目などあるのか。フィクションにもドキュメンタリー性はあるし、ドキュメンタリーにもフィクション性はある—本作を通して、改めてそんなことを考えさせられた。

そして、個人的な話をすると。YCAMには一度だけ行ったことがある。施設の周りには何もなく、あるのは自然だけ。その中でデジタルな展示物や研究が行われているという、不思議な空間。そこでゴダールの『右側に気をつけろ』を爆音で見て爆睡したことを鮮明に覚えている。本作を通して、また行きたいと思わせてくれた。監督ありがとう、と素直に言いたい。

他の人の見方

「ドキュメンタリーとフィクションの境界をさらりとすり抜けながら、DNA採取と中学生の恋物語が描かれていて三宅唱やっぱりすごい」という声があれば、「ろくにストーリーもなく、だらだらとした話が続く」と感じた人もいる。三宅唱の後続作——『ケイコ 目を澄ませて』や『夜明けのすべて』のファンが遡って本作を発掘し、演者の”素”を引き出す演出の原型をここに見出す鑑賞体験をする、という流れがある。評価の振れ幅が大きい分、見る者の映画観が試される作品でもある。

こんな人に

・三宅唱の『ケイコ 目を澄ませて』『夜明けのすべて』が好きで、原点を辿りたい人
・フィクションとドキュメンタリーの境界線、考察したい人
・濱口竜介的な「演じることの不思議さ」に惹かれる人
・YCAMや山口に縁がある、あるいは地方のアートスペースが好きな人
・難しい映画はちょっと……という人にも、67分・恋愛ベースの優しい入口として

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