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『書かれた顔』考察・感想|外の目が捉えた日本の核心(ネタバレなし)

映画『書かれた顔』の場面写真

スイス人監督ダニエル・シュミットが、歌舞伎の女形・坂東玉三郎を軸に日本の伝統芸能を記録したドキュメンタリー。白粉で顔を「無」にしてから役を描く化粧の過程を、カメラはただ、淡々と見つめ続ける。外側に立つ者だからこそ生まれる観察眼と憧れが、この映画をひとつの問いへと結晶させていく。

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目次

視聴方法

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あらすじ

本作は、女形という「他者を演じることで自己を消滅させる」身体の謎を、外国人の視点で問い続ける90分余りの映像体験だ。

「鷺娘」「大蛇」「積恋雪関扉」などの舞台映像や、芸者に扮した玉三郎を2人の男が奪い合うフィクションパート「黄昏芸者情話」を通して、玉三郎の濃厚な美の世界を映し出す。日本舞踊家・武原はん、女優・杉村春子、舞踏家・大野一雄らとのインタビューが差し挟まれ、現実、演劇、夢と幻想が繰り返し入り混じる、フィーチャーとドキュメンタリーの境界を揺さぶる構成を取る。外国人監督の視点が、日本人には見えにくかった日本の独自性と神秘を浮かび上がらせる。

見どころ

白塗り、女形、舞踏——三つの「変容する身体」が、説明なしに重なり合うことで、この映画は完成する。

「書かれた顔」が意味するもの。白塗りという哲学

歌舞伎の化粧は、まず顔全体を白粉で均一に塗りつぶすことから始まる。顔を一度「無」にしてから役を描く、この工程が作品の核心だ。シュミットのカメラはその過程を説明なしに淡々と捉え、観客はいつの間にかその儀式的な時間に引き込まれていく。

ちなみにこの『書かれた顔』という題名はロラン・バルトの日本論『記号の国』(みすず書房)からとられており、バルトは日本文化の特徴のひとつを「アラ・プリマ」という絵画技法になぞらえている——一筆書き、つまり顔を「ゼロから一気に描く」という身振りそのものだ。

ここで効いてくるのが、日本人の顔の造形だ。彫りが浅く、のっぺりとした輪郭。この「フラットさ」があるからこそ、白粉が均一にベースを覆い、そこに描かれた線が時代や役柄を超えて成立する。仮に欧米人のような陰影の強い顔立ちを真っ白にしたとしても、元の凹凸が透けて見えてしまい、別人の顔として書き直すことはできない。「日本人の顔だから歌舞伎が成立する」——この一点を、説明ではなく映像で観客に気づかせる手腕にうなる。

女形という逆説。男だからこそ「女以上の女」になれる

坂東玉三郎が語る女形論は、この映画のもっとも知的な瞬間のひとつだ。「男の目で女を演じてきた。ある種の客観性を持って、自分の人間的な魂に乗っけて、女のエッセンスを加えることが女形なんじゃないかと思った」と語る。あくまで自分は男性であり、どこまでいっても男性から見た女性でしかない。しかしだからこそ、女性の仕草を細部まで注意深く観察できる。「理想」や「憧れ」が介在することで、女性より女性らしさが生まれる。この逆説は、ジェンダーを超えた表現の本質を突いている。

大野一雄の舞踏が差し込まれる理由

ドキュメンタリーの合間に挟まれる舞踏家・大野一雄の映像は、最初は唐突にも映る。しかしその女装した身体が感情を体全体で表現する姿は、坂東玉三郎の女形と呼応し合い、作品全体のリズムを司る。虚構パートの「フィクション性」をあえて露わにしつつ、日本の伝統芸能に宿るエネルギーを強烈に増幅させている。

制作背景

本作は、スイスの日本文化愛好者が長年かけて醸成した人間関係の産物だ。

アートハウス文化が熟成するとともに日本のシネフィルとシュミットとの関係が育まれていった結果、1995年にユーロスペース製作で『書かれた顔』という映画が作られるにいたった。坂東玉三郎はもともとダニエル・シュミットの映画のファンであったといい、玉三郎は当時、自分の舞踊を35ミリフィルムで記録しており、本人にとって一番良い時期だから自分の芸や姿を残しておきたいという意識があったのかもしれず、この映画への出演を承諾したのもそれと無関係ではないように思われる。

シュミット自身は本作について、「この作品は、坂東玉三郎という秘密とともに作った映画であり、日本という秘密とともに作った映画なのです」と語っている。また劇場公開時パンフレットには「これはドキュメンタリーではありません。フィクションです」とも明言しており、自身の映画を歌舞伎についての映画エッセイというよりも、日本を描いた印象主義的な旅行記として位置づけていた。※1

フィクションパート「黄昏芸者情話」の助監督を青山真治(『EUREKA ユリイカ』『サッド ヴァケイション』)が担当している。※2

撮影を担当したのはレナート・ベルタ。「今宵かぎりは…」以来シュミットの全作品を手掛ける名手であり、ジャン=リュック・ゴダールやエリック・ロメール、マノエル・ド・オリヴェイラらの作品も手がけてきたフランス語圏映画の精鋭だ。製作は、ウェイン・ワン監督の名作『スモーク』も手がけた堀越謙三がマルセル・ホーンと組んで担当した。※3

公開と受賞の経緯も本作の重みを語る。1995年のロカルノ国際映画祭では、ピアッツァ・グランデ部門にジャン=リュック・ゴダール、エリック・ロメール、ケン・ローチらの作品と並んで上映された。その27年後の2022年、同じロカルノで4Kレストア版がワールドプレミアを飾り、日本では2022年の特集上映「現代アートハウス入門 ドキュメンタリーの誘惑」で初お披露目され、2023年3月11日よりユーロスペースほか全国順次で正規劇場公開された。※4

なお、撮影後ほどなくしてこの世を去った杉村春子、武原はん、そして大野一雄らの姿は、今や最晩年の貴重な記録としても評価されている。

感想

見終えた後、しばらく動けなかった。

「外国人は日本人より日本を理解している」という感覚、ヴィム・ヴェンダース(『PERFECT DAYS』の監督)の作品でも抱いたものだが、この映画ではそれが理論としてだけでなく、映像そのものとして叩き込まれてくる。スイス人が撮った日本。だからこそ見えた日本。

劇中で坂東玉三郎が客観性について語る場面がある。この映画自体が、その言葉を体現していた。内側にいる人間には当たり前すぎて見えない美しさ。外側にいるからこそ生まれる「理想」と「憧れ」。日本人が撮っていたら、こうはならなかったと断言できる。

女形の話が特に刺さった。「男だからこそ女以上の女になれる」という坂東玉三郎の言葉は、表現論として強烈だ。自分は男性であり、どこまでいっても男から見た女でしかない。だからこそ、女性の仕草を細部まで観察し、「理想」と「憧れ」が介在することで、女性以上の女らしさが生まれる。

この逆説を聞いた瞬間、はっきりと気づいた。これは女形だけの話ではなく、シュミットがこの映画でやっていることそのものだと。「外国人だからこそ日本以上の日本が撮れる」——構造はまったく同じだ。当事者は近すぎて見えない。むしろ「持っていない者」だからこそ、強烈な観察眼と憧れを発動できる。それが「理想」として結晶するとき、不思議なことに「偽り」の感触はゼロで、むしろ「これが本当の姿だ」と思わされてしまう。男が描く女と、外国人が描く日本。両者の手つきが、映画の中で静かに重なっていく。

そしてもうひとつ、忘れがたいのが大野一雄の舞踏だ。劇中、本筋の合間に唐突に挟み込まれるこの映像は、最初は正直、戸惑った。なぜ歌舞伎のドキュメンタリーに前衛舞踏家が出てくるのか、と。だが、女装した老体が苦悩と歓びを全身で噴出させていく姿を観るうちに、すべてが繋がっていく。坂東玉三郎が「型」として磨き上げる女性性と、大野一雄が「自我」として剥き出しに踊る女性性。対極にあるはずの二人が、同じ「無から無限を生み出す」というエネルギーで呼応していた。説明はひとつもないが、シュミットがなぜ大野一雄を選んで挿入したかが、映像だけで腑に落ちる。淡々としたドキュメンタリーになりかねない流れに、舞踏の身体が異物として割って入ることでリズムが生まれ、同時にフィクションパートの「作り物」性も逆照射される。この絶妙なバランスが、本作を「日本論」ではなく一本の映画として成立させていると感じた。

構成のリズムも見事だった。「鷺娘」の舞台に集中させてから、突然、車内のプライベートな坂東玉三郎が映し出される。その切り替えの瞬間、「演じている」と「演じていない」の境界がぐらりと揺らぐ。何が本当の顔なのか。「書かれた顔」というタイトルが、じわじわと広がる問いになっていく。

撮影監督レナート・ベルタの仕事も忘れてはいけない。ゴダールやロメール作品も手がけた彼の視点が、シュミットの「外側からの眼」にさらなる奥行きを与えていた。のちに李相日監督(在日韓国人二世という背景を持つ映画作家)の『国宝』でも、撮影監督にソフィアン・エル・ファニというフランス人を起用していると知ったとき、この映画と同じ選択だと確信した。客観性は意図的に作り出せる。

日本人として、少し恥ずかしくもあり、誇らしくもある、そんな複雑な余韻が残った。

他の人の見方

4Kレストア版の公開に寄せて、ダンサーや舞踊家からも本作への賛辞が並んでいる。

舞踏家・俳優の麿赤兒(大駱駝艦主宰)は、シュミット監督が「日本のレジェンドたちの妖・怪・美を色鮮やかに織り上げ」たと評している。※5

文筆家・選曲家の青野賢一は、女形を演じることについて坂東玉三郎が語り、役のために顔を塗る姿をカメラが捉えるとき、「フィクションの世界が現実を侵食する」と表現し、大野一雄の舞踏に強く心を打たれたと述べている。※5

ダンサー・振付家の川口隆夫は、大野一雄の踊りがシュミットの映像表現の中で「ほわっと浮きあがり、まるで水面を滑るように軽やかで優雅」と評価している。※5

こんな人に

・歌舞伎や日本の伝統芸能に興味があるが、なかなか敷居が高いと感じている人
・「外から見た日本」という視点に引っかかりを感じる人
・ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』を観て同じような感覚を抱いた人
・ドキュメンタリーとフィクションの境界が溶けるような映画体験が好きな人
・ドキュメンタリー映画に馴染みがない人でも、美しい舞台映像と独特のリズムで引き込まれる作品なので、映像の力を純粋に楽しみたい人にもおすすめ

関連商品

💿 ダニエル・シュミット監督作品(同監督・近年Blu-ray化)

💿 シュミットの代表作(盟友レナート・ベルタ撮影)

💿 「鷺娘」を独立収録(本作のクライマックス演目)


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