視聴方法
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あらすじ
石巻、大阪、帯広、東京を舞台に、歌うことでしか”声”を出せない住所不定の路上ミュージシャン・キリエ、行方のわからなくなった婚約者を捜す青年・夏彦、傷ついた人々に寄り添う小学校教師・フミ、過去と名前を捨ててキリエのマネージャーとなる謎めいた女性・イッコら、降りかかる苦難に翻弄されながら出逢いと別れを繰り返す男女4人の13年間にわたる愛の物語を、切なくもドラマティックに描き出す。
見どころ
アイナ・ジ・エンドの歌声という「事件」
路上で歌う姿、プロデューサーを前にした一発録り、警察の制止を振り切っての路上ライブ——キリエとして歌うシーンは、劇中に幾度も訪れる。アイナ・ジ・エンドは主題歌を歌唱するほか、劇中曲として6曲を制作し、劇中でさまざまな歌を歌い圧巻のパフォーマンスを披露する。また劇中にはあいみょん「マリーゴールド」、米津玄師「Lemon」などのヒット曲や、オフコース「さよなら」、久保田早紀「異邦人」といった往年の名曲もキリエが歌うかたちで登場し、歌の多様性が物語の時間軸を横断する。その歌声の実在感が映画全体を貫く軸であり、音楽劇としての迫力は本物だ。
岩井俊二の「歌姫」系譜——その最新点として
岩井俊二は自ら本作を「音楽映画」と位置付けており、『スワロウテイル』(1996年)、『リリイ・シュシュのすべて』(2001年)に続き、音楽家との化学反応を軸に据えた作品となっている。音楽プロデューサーには「監督:岩井俊二 × 音楽:小林武史」のタッグにアイナ・ジ・エンドが加わり、歌と映像が溶け合う岩井俊二的な世界観が全編に宿っている。小林武史自身も「作りながらどんどん良くなっていっている手応えがある」と語り、アイナとの作業のたびに彼女の稀有な才能に驚かされたと述べている。
ラストシーンが残すもの——178分の果てに何を見るか
ラストシーンでは、警察が中止を訴える中、キリエが全てを呑み込むような迫力のある歌声を披露するクライマックスが待ち受ける。このシーンは「社会の圧力に対して、歌という行為でひとつの自分を守り続けること」というテーマを最もストレートに体現する場面でもある。結末が何かを「解決」するというより、観た者の側に静かな問いを置いていく構造で、夏彦の行動とキリエの歌の関係をどう読むかによって余韻はかなり変わってくる。核心はぜひスクリーンで確かめてほしい。
制作背景
企画の起点は、岩井俊二が書いた未発表小説のなかにある物語だった。岩井俊二は本作について「初めは、とある未発表小説の中に書いた女の子2人の小さな物語だった。それがいつしか13年にも及ぶ話になり、自分の想像を越えた重たい十字架をこの子たちに背負わせることになった」と語っている。その後、映画の原作小説として2023年7月5日に文春文庫より発売された。
アイナ・ジ・エンドへのキャスティングについては、岩井俊二監督のインタビューによると、原型となる物語を執筆しているときにアイナ・ジ・エンドのことを知り、その存在に大きく触発されたことが制作のきっかけになったという。当時はまだBiSHの活動中だったが、グループよりもROTH BART BARONの三船雅也とのユニットA_oや2021年にリリースされた1stソロアルバム『THE END』の楽曲のほうが決め手になったとされている。アイナ・ジ・エンドは、2023年6月に惜しまれながらも解散した、楽器を持たないパンクバンド「BiSH」のメンバーで、現在はソロとして活動中だ。映画初主演での抜擢となった。
舞台は東日本大震災を起点とした13年間。本作は宮城県仙台市出身である岩井俊二監督による壮大な愛の物語であり、本作には地震描写および津波ならびに水害のシーンを想起させる描写が含まれている。宮城県内での撮影については、2022年5月に仙台・石巻・東松島でロケが行われた。大阪ロケでは藤井寺市の津堂城山古墳・道明寺南小学校・アイセル シュラ ホール・近鉄道明寺駅などで撮影が行われた。東京では新宿中央公園で路上ライブシーンが撮影された。
原作・監督・脚本を手がけた岩井自らが書き上げた脚本は時系列に沿ったものであり、タイトルも違うものであったという。その脚本および映画撮影後の初期編集版を基にして、岩井自らが全10話・5時間半のドラマ版に再編集した。ドラマ版は「路上のルカ」のタイトルで展開されている。
受賞面では、第47回日本アカデミー賞の話題賞 作品部門を『キリエのうた』が受賞した。またアイナ・ジ・エンドは初主演映画『キリエのうた』での演技が評価され、第47回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。先立つ第48回報知映画賞でも新人賞を受賞しており、映画デビュー作での二冠という快挙となった。さらに主題歌「キリエ・憐れみの讃歌」の作詞作曲を手がけた小林武史も、同賞音楽賞に名を連ねた。
感想
期待していた分だけ、引っかかりも率直に書いておきたい。
岩井俊二が「歌姫」を据えた映画を作ると聞いたとき、『リリイ・シュシュのすべて』のときのような感覚を期待していました。あの作品で音楽は物語の骨格だった。歌は世界そのものだった。今回もそれを期待していたが、観ながらずっとある違和感がついてまわった。
まず前提として、アイナ・ジ・エンドの歌は本物だ。プロデューサーの根岸(北村有起哉)の前でキリエが歌を披露するシーンは、場内の空気が変わるような実在感があった。北村有起哉が演じる根岸は常に感情を排したような佇まいで、何を考えているのかわからない。胡散臭さとリアリティが同居した、不思議な存在感の役だった。その根岸がキリエの歌声に反応する瞬間、あのシーンだけは画面の中に本当のことが起きているような気がした。
ただ、映画全体として見ると、歌と物語の噛み合いに歯車のズレを感じてしまう。歌が強すぎるというより、物語の構造が歌の強度に追いついていない、という感覚に近い。178分かけて4人の人生を描くが、観ているうちに「これは映画なのか、ミュージックビデオなのか」という問いが頭から離れなくなっていった。美しいシーンは確かにある。でも美しいシーンの連続が必ずしも映画的な必然になっているわけではなかった。
もう一つ、どうしても整理できなかった点がある。キリエと、彼女の亡き姉・小塚希を同じアイナ・ジ・エンドが演じているという設定。夏彦(松村北斗)の視点から見ると、姉を失った喪失と、妹であるキリエへの感情が奇妙に重なって見えてしまう。姉妹を一人二役で演じることで何かを表現しようとしているのはわかる。でも実際には、夏彦と姉・小塚希の関係自体が最後まで曖昧で、そこに妹キリエが絡んでくると、感情の輪郭がぼやけていく一方だった。夏彦は本当に希を愛していたのか。あるいは愛し切れなかったのか。この核心部分がはっきりしないまま物語が動いていくので、常にモヤがかかったような状態で178分を過ごすことになった。
キリエが「歌うときにしか声を発せない」という設定は、映画的な詩情として成立しうるアイデアだと思います。しかし実際の尺では、キリエは想定以上にボソボソと言葉を発する場面もある。設定の一貫性という点では引っかかった。設定を守り通すことより、物語の進行を優先した結果だろうとは推察できるが、それがかえって設定の意味を薄めてしまっていた。
イッコ(広瀬すず)についても、闇落ちした経緯がまだ描ききれていない部分があると感じた。岩井監督が相当の尺をカットしたことは複数媒体が伝えており、おそらくその削られた部分にイッコの背景がもっと詰まっていたのだろうと想像する。でも映画として見る者に届くのは完成版のみで、観客は今あるものだけで判断するしかない。
大塚愛が演じた小塚呼子には、正直驚いた。彼女だと気づかないほど自然で、観ながら「あれ誰だろう」と思っていたら大塚愛だった、という体験。岩井監督の配役は毎回意外性がある。それは今作でも機能していて、キャスト全体の布陣は面白い。
最後、警察の警告を受けながら路上で歌い続けるキリエの姿は、この映画が何を伝えようとしていたのかを一番ストレートに示していた。社会の圧力に対して、歌という行為でひとつの「自分」を守り続けること。そのテーマは確かにそこにある。ラストシーンの静かさも悪くはなかった。
ただ、そのテーマまでの道のりが178分のあいだずっとスッキリしなかった。歌は本物。でも映画としての問いは残ったまま、エンドロールを迎えた。
他の人の見方
映画.comの評論では「アイナ・ジ・エンドの歌声が”岩井俊二ワールド”に響き、過去作品と交差する」という評価がある。歌姫系譜の最新点として、専門的な視点からも位置づけられている作品だ。
一般観客の評価はFilmarksでも「一瞬の178分」という支持派と「長すぎる・焦点が拡散する」と感じる批判派が拮抗しており、賛否が割れる作品でもある。
震災を作品の根に置いた真摯さと、仙台・石巻・東松島といった被災地のロケーションを捉えた描写については、批評・一般ともに肯定的な声が多い。
よくある質問
原作小説はありますか?
映画の原作となる小説『キリエのうた』は岩井俊二著で、文春文庫より2023年7月5日に配信開始された。映画の監督・脚本も岩井俊二が担当しており、小説と映画はほぼ同時期に世に出た。映画では描ききれなかった各キャラクターの内面、とりわけ夏彦の心情が丁寧に書き込まれており、映画の補完として読む価値がある。
タイトル「キリエのうた」にはどんな意味がありますか?
「キリエ(Kyrie)」はキリスト教典礼音楽における祈りの言葉「Kyrie eleison(主よ、憐れみたまえ)」に由来する。主題歌も「キリエ・憐れみの讃歌」と題されており、タイトルは主人公の名前であると同時に、喪失と祈りのテーマそのものを象徴している。震災で声を失った少女が「歌うことでだけ声を取り戻す」という設定と、祈りの言葉としての「キリエ」は深く共鳴している。
ラストシーンにはどんな意味がありますか?
ネタバレは避けるが、ラストシーンでは警察が中止を訴える中、キリエが全てを呑み込むような迫力のある歌声を披露するクライマックスが描かれる。このシーンは単なる感動の着地点ではなく、「社会や制度の圧力に抗して歌い続けること=自分として生きること」というテーマの集約点として機能している。夏彦・イッコ・フミそれぞれの13年間を受け止めた上でラストを見ると、余韻の重さがまるで変わってくる。
夏彦(松村北斗)というキャラクターはどう考察すればよいですか?
夏彦は、失ってしまうかもしれないという恐怖に苛まれながら藻掻き続け、希を求め続ける人物として描かれており、その姿は”愛”そのものに見えるという読み方がある一方で、感情の輪郭がわざと曖昧に設計されている節もある。姉・希への思いと妹・キリエへの感情が一人の俳優(アイナ・ジ・エンド)を通して重なり合う構造が、夏彦の内面を読み取りにくくしている最大の要因だ。原作小説では彼の心理がより詳細に描かれているため、映画だけでは腑に落ちなかった方は小説と照らし合わせると考察が深まる。
受賞歴を教えてください。
2024年3月8日に行われた第47回日本アカデミー賞で、『キリエのうた』は話題賞(作品部門)を受賞した。アイナ・ジ・エンドは同賞の新人俳優賞を受賞しており、先立つ第48回報知映画賞でも新人賞を受賞している。また、小林武史が手がけた音楽も第47回日本アカデミー賞音楽賞に名を連ねた。初主演・初主演映画デビュー作での複数受賞という異例の快挙となった。
こんな人に
・岩井俊二の『スワロウテイル』『リリイ・シュシュのすべて』が好きな人
・アイナ・ジ・エンドの歌声と存在感をスクリーンサイズで追いたい人
・東日本大震災を起点とした物語を、静かな視点から見つめたい人
・「美しいが長い」映画と向き合うことが苦にならない人
・日本映画をあまり観てこなかった人でも、歌と映像から入れる作品なので、岩井俊二ワールドの入口として試してみる価値はある



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