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『コンパートメントNo.6』考察・感想|最悪な出会いが開く、魂の扉(ネタバレなし)

『コンパートメントNo.6』——終着駅まで、まだ少しある

監督 ユホ・クオスマネン

主演 セイディ・ハーラ、ユーリー・ボリソフ

製作年 2021年

上映時間 107分

ジャンル ドラマ/ロードムービー/ロマンス

原題 Hytti nro 6

製作国 フィンランド・ロシア・エストニア・ドイツ


※本記事にはアフィリエイトリンクを含みます。


目次

視聴方法

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あらすじ

物語の舞台は1996年のモスクワ。フィンランドからの留学生ラウラは、ムルマンスク近郊の古代岩壁画(ペトログリフ)を見に行くことを楽しみにしていた。しかし直前に恋人イリーナにドタキャンされ、ひとりで寝台列車に乗り込む羽目になる。割り当てられたコンパートメントNo.6の相部屋には、酒を飲んで大声を上げるロシア人肉体労働者リョーハがいた。言葉も価値観も何もかもが噛み合わない最悪の同室者と、長い長い旅が始まる——。

見どころ

価値観が正反対だから、惹かれていく

インテリな女性と無骨な労働者男性。最初は嫌悪し合うふたりが、閉鎖空間で時間を共にするうちに少しずつ、そして突然、距離を縮めていく。違うから理解できない、違うからこそ気づかされる——その逆説が、列車の揺れとともにじわじわと伝わってくる。フィンランドとロシアという歴史的に複雑な関係を持つ2国の文化的距離、知識階級の女性と肉体労働の男性という階層的隔たり——そうした重層的な「他者性」を通じて、互いが偽りの自己を脱ぎ捨てていく過程として本作を読むことができる。

ポストソビエト的な景色と、フィルムが刻む息遣い

本作の撮影監督はJ・P・パッシ。クオスマネン監督と信頼で結ばれたコラボレーターであり、本作はKodak 35mm(2-perf)で撮影されている。クオスマネン監督の短編『Citizens』(2008)からローカルノ映画祭銀豹賞受賞作、中篇『The Painting Sellers』(2010)のカンヌ・シネフォンダシオン受賞作、長編デビュー作『オリ・マキの人生で最も幸せな日』(2016)にいたるまで、全作品をパッシが撮影し続けている。デジタルが主流の時代にあえて選んだフィルムの粒子感が、ポストソビエトの荒涼とした風景と小さなコンパートメントの密度を、同じ質感の中に封じ込める。

実際の列車シーンは、ロシア国有鉄道(RZD)から客車をレンタルし、実際の線路上を走らせながら撮影。コンパートメントの内部、寝台、食堂車など、90年代末のヤリツィン時代の空気がそのまま残る車両がスクリーンに映し出されている。さらに整備庫内に2両の客車を持ち込み、油圧ジャッキで揺れを再現、大型の移動式照明リグとSFXバックドロップを組み合わせたセットも構築された。

監督自身が「スタジオでのグリーンスクリーン撮影には興味がない」と語っているように、ドキュメンタリー出身のパッシと監督は、スタジオで撮るよりも本物の動く列車を選ぶのは当然だ、という哲学を共有していた。

ユーリー・ボリソフという俳優の引力

ボリソフはモスクワの演技学校で学び、『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』(2018)や『インフル病みのペトロフ家』(2021)といったロシア映画でキャリアを積んできた実力派。リョーハを演じるボリソフの存在感は圧倒的で、無骨で不器用なのに、どこまでも純粋で愛おしい。その後、ショーン・ベイカー監督の『ANORA アノーラ』(2024)では気の進まないボディガード・イゴールを繊細かつユーモラスに演じ、ハリウッドと世界中の観客を魅了。ロシア人俳優として約50年ぶりとなる米アカデミー賞助演男優賞ノミネートを果たした。

キャスティングについて、クオスマネン監督はこう語っている。「セイディ(ハーラ)はロシア語を話せる女優を探した際の最初の候補だった。彼女のユーモア、自由な感性、そして互いへの信頼感が好きだ。強い身体的存在感と同時に豊かな魂を持っていて、だからこそユーリーとこれほどよく調和した。ユーリーは素晴らしい俳優で、セイディと掛け合わせた瞬間に双子のような相性だとわかった。2人は、キャラクター同士を結びつける予期せぬつながりを表現できた」と。

制作背景

監督・ユホ・クオスマネンについて

クオスマネン監督は短篇『The Painting Sellers』(2010)でカンヌ・シネフォンダシオン最優秀賞を受賞。長編デビュー作『オリ・マキの人生で最も幸せな日』(2016)はカンヌ「ある視点」部門グランプリのほか、チューリッヒ映画祭ゴールデンアイ賞、シカゴ国際映画祭ゴールドヒューゴ賞も受賞した。そして本作で第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門グランプリを獲得。長編2作目にして2度のカンヌ受賞という快挙を成し遂げた。カンヌでのグランプリはアスガル・ファルハディ監督(イラン出身、『別離』『英雄の証明』で知られる)の同コンペ作品との同時受賞だった。

フィンランド・アカデミー賞と言われるユッシ賞では作品賞・監督賞・主演女優賞など7冠を制し、第94回アカデミー賞国際長編映画賞フィンランド代表選出、第79回ゴールデングローブ賞最優秀非英語映画賞ノミネートと、世界17冠の快挙を遂げた。アカデミー賞では最終候補(ショートリスト)に残っている。

カンヌでの上映直後から口コミで評判が広がり、ソニー・ピクチャーズ・クラシックスが北米を含む主要マーケットの配給権を獲得。「ビフォア・サンライズ」三部作との比較で論じられることも多い作品だ。

原作小説と脚本

原作は1958年フィンランドのラップランドに生まれた作家・芸術家ロサ・リクソム。画家、漫画家、映画監督としても活躍し、その著作は15言語以上に翻訳されている。2011年のフィンランディア賞(フィンランド最高の文学賞)を『Hytti nro 6』で受賞。日本語版は末延弘子訳でみすず書房から2025年7月10日に刊行されている※1

脚本はクオスマネン監督自身とエストニア人作家のアンドリス・フェルドマニス、リヴィア・ウルマンが共同執筆※2。監督は出版後まもなくこの小説を読んでいたが、「原作は異なる時代が混在していて、そのまま映像化すると非常に長くなってしまう」という懸念もあり、長期間アダプテーションを躊躇していたと語っている。

原作からの変更点

クオスマネン監督は「この映画は原作の「翻案」ではなく、原作に「インスパイアされた」作品だ」と位置付けている。原作小説では舞台がソ連末期、行き先がモンゴル(ウランバートル)であるが、映画では1990年代末〜2000年代初頭、行き先をムルマンスクに変更。「ムルマンスクは海に近く、空気が抜けるような開放感がある。モンゴルの砂漠よりも、映画のラストに光と空気感をもたらせると思った」と監督は説明している。実際の撮影準備ではウランバートルもロケハンしたが、ムルマンスク行きの路線を見た際、「この路線で撮るのに、なぜ別の路線のふりをする必要があるのか」という考えに至り、そのまま採用した。「この映画は特定の場所ではなく、長い旅そのものを描いている」とも語っている。

撮影の詳細

撮影期間は2020年2月12日から3月26日の28日間。コロナ禍によるロシアのロックダウンの影響で、モスクワ市街地のシーンはサンクトペテルブルクで撮影された。その他のロケ地はペトロザヴォツク、オレネゴルスク、ムルマンスク、そしてコラ半島のテリベルカ——テリベルカはアンドレイ・ズビャギンツェフ監督の『裁かれるは善人のみ』(2014)の舞台としても知られる地だ。

実走撮影はサンクトペテルブルクを出発点として約2週間にわたって行われ、当初の予定にあったムルマンスクまでの全区間は走破しなかった。クオスマネン監督が撮影の参照点のひとつとして挙げたのは、ヴォルフガング・ペーターゼン監督の『Das Boot』だったという。

監督と撮影監督パッシが共有するドキュメンタリー的美学は、「すべてをコントロールしたいわけではない」という姿勢に表れている。グリーンスクリーンで作り物の景色を並べるのではなく、本物の空間と光が生み出す偶発的なリアリティを捉えることを優先した。

感想

最悪な出会い、というやつがある。

でもこの映画を観終わると、「最悪な出会い」ほど自分の何かを開いてくれることがあるのだと、しみじみ思う。ラウラが恋人にドタキャンされ、泥酔したリョーハと密室に閉じ込められる——その出発点は本当に救いがない。なのに、気がつくと2人の変化をずっと見つめている自分がいる。

印象的だったのは、心の距離の縮まり方だ。ゆっくり少しずつ、ではなく、ある瞬間に「一気に」開かれる感覚。相手に心を許すポイントというのが確かにあって、その瞬間がドラマティックに描かれるわけじゃないのに、しっかり伝わってくる。人間関係ってこういうものだな、と。だから難しくて、不思議で、面白い。

リョーハという人物について。ペトログリフに全く価値を見出せない彼の態度は、確かに嫌なやつに映る。でもよく考えれば、あれは普通の反応だ。単純に生き方や価値観が違うだけ。悪い人じゃないどころか、むしろ自分の感情に正直で、純粋で、気取りがない。雪の中でひとりで遊ぶ彼の姿が、その人間としての本質をまるごと見せてくれる。

そしてユーリー・ボリソフ(『アノーラ』でも鮮烈な印象を残したロシアの俳優)。不器用で純粋な男性の演技が、本当にすごい。観ながら、思わず寝台列車で旅に出たくなってしまった。こんな奇跡的な出会いなんて現実には起きないだろうけど。

旅の終わりにラウラが得たもの。それは当初の目的——ペトログリフを見ること——を達成したことで得たのではなく、その過程によって得たものだった。「過去を知れば現在を容易に理解できる」という言葉が映画の中に出てくるが、それはあっているようで間違っている、とも感じた。人生は何が起こるかわからないからこそ面白い。ラウラの最後の笑顔は、その不思議さと予測できなさ、そして素晴らしさに向けられたものだと思う。

最後、貶し言葉を愛の言葉と勘違いして送ってしまうくだりはベタだけど、最高に好きだった。

他の人の見方

カンヌでの上映直後から口コミで急速に評判が広がったクラウドプリーザーであり、「ビフォア・サンライズ」三部作との比較で語られることも多い。

Hollywood Reporterのデヴィッド・ルーニーは、クオスマネン監督の演出を「過度なセンチメンタリズムに陥らない根源的な寛容さ」「明示的な啓示よりも内的な照射を選ぶアプローチ」と評し、撮影監督J・P・パッシによる「色味を抑えたパレット」がポストソビエト的世界観と流動的なカメラワークを支えていると指摘している※3

また、フィンランドとロシアという歴史的に複雑な関係を持つ2国の文化的距離、知識階級の女性と肉体労働の男性という階層的隔たり——それらの「他者性」を通じて、互いが偽りの自己を脱ぎ捨てていく過程として本作を読む批評的な視点もある※3

「自分が旅してるみたいな感覚だった」「嫌悪感から発したこの言葉は気づいたら愛しいものになっていた。いろんなロードムービーがあるけど、めちゃくちゃ好きだった」——観客からはロシアの寝台列車を舞台にした関係性の変化と、北方ロードムービーの質感を称える声が多く寄せられている。

よくある質問

原作小説はありますか?

原作はロサ・リクソム(本名アンニ・ユラヴァーラ、1958年フィンランド生まれ)の同名小説。ヘルシンキ、コペンハーゲン、モスクワの各大学で人類学・社会科学を学んだ経歴を持つ。2011年、フィンランド最高の文学賞「フィンランディア賞」を受賞した。日本語版は末延弘子訳でみすず書房から2025年7月10日に刊行。原作は映画と異なりソ連末期が舞台で、行き先もモンゴル(ウランバートル)となっている※1

タイトルの「コンパートメントNo.6」にはどんな意味がありますか?

「コンパートメント(compartment)」とは列車の個室、あるいは仕切られた空間のこと。ヨーロッパやロシアの寝台列車では、通路に面した6〜8人用の仕切り区画をこう呼ぶ。タイトルはラウラとリョーハが割り当てられた「6号車室」そのものを指し、互いにとって居心地の悪い密室——やがて変容の場となる閉鎖空間——を映画全体の象徴として前景化している。

監督・ユホ・クオスマネンの他の代表作は?

クオスマネン監督は短篇『Citizens』(2008)でローカルノ映画祭銀豹賞を受賞し、中篇『The Painting Sellers』(2010)でカンヌ・シネフォンダシオン最優秀賞を獲得。長編デビュー作『オリ・マキの人生で最も幸せな日』(2016)でカンヌ「ある視点」部門グランプリに輝いた。長年のプロデューサーであるユッシ・ランタマキとAamu Film Companyが共同制作体制を継続しており、次回作の準備も進んでいる。

ユーリー・ボリソフは他にどんな作品に出ていますか?

ボリソフは戦争映画『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』(2018)や伝記映画『AK-47 最強の銃 誕生の秘密』(2020)でロシア映画界でのキャリアを積み、本作でその存在感を国際的に示した。その後、ショーン・ベイカー監督の『ANORA アノーラ』(2024)で英語映画に初挑戦し、高い評価を獲得。今やハリウッドでも注目される存在となっており、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。ロシア人俳優としてのノミネートは約50年ぶりという歴史的な快挙だった。

受賞歴を教えてください。

第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門グランプリを受賞。フィンランド・アカデミー賞(ユッシ賞)では作品賞・監督賞・主演女優賞など7冠を達成。第79回ゴールデングローブ賞最優秀非英語映画賞にノミネートされ、世界各地の映画祭を含め計17冠を獲得した。第94回アカデミー賞国際長編映画賞ではフィンランド代表として最終候補(ショートリスト)まで残った。

こんな人に

・偶然の出会いが人を変えていく瞬間を、静かに見届けたい人
・寝台列車やロードムービーのあの「密室感」が好きな人
・ユーリー・ボリソフ(『アノーラ』で気になった人に特におすすめ)
・価値観の全く違う人間同士が互いを理解していく過程に共感できる人
・ロマンスや恋愛映画をあまり観ない人でも入りやすい、人間ドラマとして楽しめる作品
・『ビフォア・サンライズ』シリーズや、アキ・カウリスマキ作品が好きな人

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