視聴方法
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あらすじ
田園地帯の中学校に通う蓮見雄一は、内向きな感情のはけ口を架空のアーティスト「リリイ・シュシュ」のファンサイトに求めていた。かつて仲の良かった同級生・星野修介との関係は、ある夏を境に歪んでいく。いじめ、暴力、孤立——日常の残酷さが静かに積み重なる中、リリイの音楽だけが彼らの心の隙間に差し込む光となっていく。美しい田園風景の下で密かに巻き起こる加害者と被害者の反転、心の闇、自殺——。146分の尺だが、凡百の大作を遥かに超えるボリューム感でずっしりとカラダにくる。
見どころ
CineAlta HD24Pが捕まえた「生」の質感
本作はジョージ・ルーカスが採用したという日本初のデジタルビデオカメラ、24プログレッシヴで撮影されるなど、新たな試みに富んでいる。撮影監督は篠田昇。デジタル撮影特有の解像度と階調が、田園風景の陽光や少年たちの肌の質感を、それまでの日本映画にはなかった生々しさで掬い取っていく。岩井監督は「フィルムよりこの『生』な作品にはデジタルが向く」と判断したと語っており、その選択が本作の世界観の核になっている※1。
ドビュッシーが導く感情の地図
音楽プロデュースは小林武史が担当。ドビュッシーの「アラベスク第1番」と「月の光」が全編の感情主題として配置され、サウンドトラックのタイトルも『アラベスク』と名付けられている※1。架空のカリスマ歌姫リリイ・シュシュを演じるのは当時新人歌手だったSalyuで、劇中ほとんど姿を現さない。その声質が作品世界に独特の浮遊感を与え、掲示板上のテキストと田園の映像との間を繋ぐ。リリイ・シュシュを演じたSalyuはいまや有名な歌手になった。そういう意味で、本作は才能を育てた映画でもある。※2
蒼井優の映画デビュー
本作は蒼井優の映画デビュー作だ。映画版では当初久野が自殺するはずだったが、久野を演じた伊藤歩と津田を演じた蒼井優のキャラクターに触れるうちに、岩井俊二が別の物語(映画版の脚本)を思い起こしたため変更された。原作の人物像との大きな乖離がキャスティング後に生まれたため、岩井監督は「脚本の大きな変更を余儀なくされた。これまで大きな内容の変更をしたのは、後にも先にも初めて」と語っている※3。市原隼人と忍成修吾も本作が映画初主演・注目作となっており、岩井監督は「才能の原石たちと巡り合うことができて、本当に幸運でしたね」と振り返っている。※2
制作背景
企画の原点——Y2Kプロジェクトからインターネット小説へ
当初は日本の岩井俊二、台湾のエドワード・ヤン、香港のスタンリー・クワンの3人の映画監督により発足したY2Kプロジェクトの一環として、香港のアーティスト「リリイ」と台湾に住む少年の物語として映画の構成が練られていたが、岩井監督自身の「この物語の正体をとらえきれていなかった」という考えによりこの企画は一旦白紙とされた。その後、映画の音楽を担当していた小林武史がリリイのイメージを基に「共鳴」という楽曲を制作し、それを聞いた岩井俊二は映画以外の手法による表現も可能ではないかと考え、舞台を日本に、また媒体をインターネットに移した。
2000年4月にインターネット・ノベルとしてスタート。一般の読者に紛れて監督の岩井俊二がハンドルネームを使いわけ、掲示板にメッセージを書き込んで物語を作り上げていった。※4この設定では、リリイ・シュシュの熱狂的なファンであるサティという人物が「Lily holic(リリイホリック)」を開設したという設定で作られており、掲示板には閲覧している一般人も書き込みが可能であり、その一般人の書き込みも小説の一部として進行していくという実験的なものであった。この構造が、「ネット時代の集合的孤独」を描くというテーマそのものを実現する媒体として機能している。
撮影地・サウンドデザイン
メインロケ地は栃木県足利市(中橋・JR足利駅・市内田園)および群馬県太田市・宇都宮市周辺の田園地帯。蓮見の沖縄パートは西表島で撮影されており、田園シーンの風音・蝉・環境音をそのまま生かしたサウンドデザインも本作の大きな特徴だ※5。ウェブサイト上で、一般参加者たちとの対話の中から物語を書いていくという、異色のスタイルで発表されたインターネット小説を岩井俊二監督自身が映画化した。クライマックスのライブ会場となる国立代々木競技場第一体育館での撮影には、インターネットや雑誌で募集した一般人のエキストラが参加している。
「遺作にしたい」と語った監督の転換点
岩井俊二は『Love Letter』(1995)・『スワロウテイル』(1996)・『四月物語』(1998)のロマンティック/スタイリッシュ路線から、本作で「ネット時代の集合的孤独」への転回を図った。監督の岩井俊二は、本作の発表当時「遺作を選べるならこれにしたい」と公言した。この言葉どおり、以降の彼は精力的なペースで作品を発表していたそれ以前に比べるとずいぶん寡作になっていく。※1
受賞歴と国際評価
2002年・第52回ベルリン国際映画祭パノラマ部門国際アート・シアター連盟賞、2002年・第6回上海国際映画祭コンペティション部門審査員特別賞/最優秀音楽賞(小林武史)を受賞した。※6国内では第75回キネマ旬報ベストテン第7位、第23回ヨコハマ映画祭ベストテン第5位および最優秀新人賞(細山田隆人)を受賞。※7また2002年ニューヨーク映画祭にも正式招待されている。
リバイバル上映と現在
岩井俊二監督デビュー30周年を記念した「IWAI SHUNJI The Film Works 30th Anniversary 1995–2025」キャンペーンの一環として、本作は2025年12月26日よりTOHOシネマズ日比谷・TOHOシネマズ新宿ほか全国劇場でリバイバル上映された。改めて広い世代に届く機会となり、2001年当時に観られなかった若い世代にも本作は確実に届き続けている。
感想
日本映画の中で、一番影響を受けた作品です。
高校生の頃に観て、その後一週間ほど放心状態になりました。彼らの気持ちをひたすら考え続けていた。授業中も、眠る前も。あの一週間は、今も還ってこない。
世界は、無関係に美しく流れていく
この作品の核心は、内容と映像の徹底した対比にあると思っています。少年たちが孤立し、傷つき、声にならない声を上げているそのすぐ横で、青空と田園と陽光は、何ごともなかったように美しい。誰かが叫んでも、誰かが涙を流しても、世界は無関係に美しく流れていく。日が昇り、沈んでいく。その「無関心さ」こそが、孤独をいちばん深く刻んでくる。
10代の頃に観た自分には、これが他人事ではなかった。毎日が不満だらけで、世界と自分のあいだに透明な壁があるような感覚があった。蓮見雄一の孤立は、距離を持って見ていられるものではありませんでした。
崇拝と批判は、同じ顔をしている
リリイ・シュシュという架空のアーティストが、崇高な存在として描かれながら、同時に批判の対象としても存在しているのが、私はずっと忘れられません。掲示板で饒舌に「崇拝」を語る匿名たち——その熱量と、その熱量の底にある懐疑、嫉妬、否認。作品はそのどちらも手放さない。 どこかに絶対的な何かを求めたくなる気持ちと、それを完全には信じきれない冷静さ。両方が同時にあるからこそ、自分の感情を持って世界に入っていけました。
作中に「エーテル」という言葉が何度も出てきます。UAやBjörkにはエーテルを感じるが、椎名林檎には感じない——という掲示板上のやり取り。あの「エーテル」がそもそも何なのか、定義として言葉にするのは難しい。でも、自分にも同じ印象があった。あの判定の共有が、自分にとってこの作品世界への扉になったと思っています。
現実と非現実の境界が、どこかで切り替わる
岩井監督は、本作のなかに現実的な生々しさを意図的に挿し込んでくる。稲森いずみが星野修介の母として配置されることで生まれる「テレビで見慣れた顔が日常に立っている」奇妙な質感、CineAltaの粒子と階調、突発的な暴力シーン、掲示板の流れていくテキスト。現実と非現実の境がどこかで曖昧になっていって、ある瞬間、そこに区切りがなくなる。 そして、その境を失ったまま、作品はいくつかの決定的な出来事を見せる。あらかじめ覚悟していたはずなのに、まるで自分のまわりで起きていることのようなショックが走りました。
17歳のあの頃の自分にしか、受け取れなかったもの
正直に書いておきたい。当時17、8歳だったからこそ、これほど深く響いたのだと思っています。あの年齢の、あの状況の自分だったから、一週間放心した。大人になった今、同じ強度でこの映画を受け取れるかどうかは、わかりません。
それでも——いや、だからこそ——この作品は私のなかに刻まれたまま変わらずそこにあり続けています。「観た」のではなく、「体験した」と言いたい映画。そういう作品が誰にでも何本かあるはずで、私にとってのその筆頭が、リリイ・シュシュのすべてでした。
他の人の見方
映画レビューサービス上の平均スコアは3.8点(5万件超)。「映像や音楽が美しい」と岩井俊二の代表作の質感を称える声、「中学時代の苦しい思い出がフラッシュバックする」「いつも塾の帰り道、イヤホンを付けて自転車を爆走してた」など、青春の痛みをリアルに描いた本作と個人的な記憶を重ねるレビューが目立ちます※8。
ネット時代の集合的孤独を先駆的に描いた点、CineAlta HD24Pによる「生」の映像質感、ドビュッシーをモチーフとした音楽設計、Salyuの初期声質、現実と非現実の境界の溶解——こうした映像・物語両面の革新が一貫して高く評価されているという※1。
一方で、いじめ・性暴力・希死念慮・援助交際など重い題材が連鎖すること、146分という長尺、田園詩的な美しい映像と残酷な出来事の対比に違和感を覚えるという声もある※8。
よくある質問
原作はありますか?小説版との違いは?
本作の原作は、2000年4月にインターネット・ノベルとしてスタートした岩井俊二自身の作品です。一般の読者に紛れて岩井俊二がハンドルネームを使い分け、掲示板にメッセージを書き込んで物語を作り上げていきました。その後、書籍化されて2004年に角川文庫として刊行されています。映画版では、久野を演じた伊藤歩と津田を演じた蒼井優のキャラクターに触れるうちに岩井俊二が別の物語を思い起こしたため、小説版とは異なる展開に変更されました。
タイトル「リリイ・シュシュのすべて」にはどんな意味があるのですか?
劇中に登場する架空のカリスマ歌手「リリイ・シュシュ(Lily Chou-Chou)」の名前がそのままタイトルになっています。劇中ではリリイ・シュシュはジョン・レノンが暗殺された1980年12月8日に生を受けたという設定の架空のアーティストであり、その歌声はSalyuが担当しています。「すべて」という言葉は、少年たちがリリイに傾けた信仰・崇拝・依存の全量を指すと同時に、彼女の音楽に救いを求めた思春期の感情世界そのものを指しているとも読める。タイトルそのものが、この映画の問いかけになっています。
受賞歴はありますか?
2002年の第52回ベルリン国際映画祭パノラマ部門で国際アート・シアター連盟賞を受賞。同年の第6回上海国際映画祭でもコンペティション部門審査員特別賞(岩井俊二)および最優秀音楽賞(小林武史)をダブル受賞しています。さらに同年、ニューヨーク映画祭への正式招待も受けています。国内では第75回キネマ旬報ベストテン第7位、第23回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞(細山田隆人)も受賞しています。
監督・岩井俊二の他の代表作は何ですか?
岩井俊二は1990年代から活躍する日本映画の代名詞的な作家です。『Love Letter』(1995)、『スワロウテイル』(1996)などロマンティックかつスタイリッシュな作品で高い評価を得てきた監督であり、本作はその路線からの大きな転換点となりました。近年では『キリエのうた』(2023)を発表し、今もなお現役の作家として国内外から注目を集めています。
続編や関連作品はありますか?
映画の直接的な続編は存在しません。ただし本作はその後も広く再評価・再発見され続けており、岩井俊二監督デビュー30周年を記念した「IWAI SHUNJI The Film Works 30th Anniversary 1995–2025」の一環として2025年12月にリバイバル上映が行われました。また本作の音楽を担当した小林武史・Salyuとのコラボレーションは、その後の岩井作品にも受け継がれています。
こんな人に
・10代の孤立感や世界との断絶を、映画でもう一度確かめたい人
・映像の美しさと物語の痛みが正反対に向いている作品が好きな人
・蒼井優のキャリアを最初期から辿りたい人
・インターネットが浸透しはじめた2000年代初頭の空気感を体感したい人
・邦画のドラマにあまり触れてこなかった人でも、映像と音楽の力で引き込まれる作品を探している人
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