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『マーズ・エクスプレス』考察・感想|ハッピーエンドでもバッドエンドでもない余韻(ネタバレなし)

『マーズ・エクスプレス』考察・感想|ハッピーエンドでもバッドエンドでもない余韻(ネタバレなし)

監督 ジェレミー・ペラン

脚本 ジェレミー・ペラン、ローラン・サルファティ

声の出演(字幕版) レア・ドリュッケール、マチュー・アマルリック、ダニエル・ンジョ・ロベ

声の出演(吹替版) 佐古真弓、安元洋貴、内田夕夜、三瓶由布子

製作年 2023年

上映時間 89分

ジャンル SF・アニメ

制作費 900万ユーロ


※本記事にはアフィリエイトリンクを含みます。


目次

視聴方法

Prime Video(字幕版・日本語吹替版)にてレンタル・購入での視聴が可能。U-NEXTおよびJ:COM STREAMでも2026年7月1日よりレンタル配信開始。配信状況は変動するため、最新の取り扱い状況は各サービスで確認を。

▶️ 『マーズ・エクスプレス (字幕/吹替版)』をPrime Videoで見る

あらすじ

西暦2200年。火星を拠点に活動する私立探偵アリーヌ・ルビーは、相棒のアンドロイド、カルロス・リヴェラとともに、ある大学生の失踪事件を追って捜索を開始する。やがて調査は火星の首都ノクティスの闇へと踏み込み、企業の腐敗、アンドロイドの解放プログラム、そして宇宙の未来を左右しかねない巨大な陰謀が浮かび上がってくる。

見どころ

メビウスの線が動き出す——バンド・デシネ的美術と2D/3D二重構造

フランスのSF漫画(バンド・デシネ)の巨匠、メビウス(ジャン・ジロー)の影響を強く感じさせる、一見淡白な絵柄が本作の第一の魅力だ。無駄を徹底的に排した線とレイアウトでありながら、ちょっとした表情の動きやしぐさが確かに感情移入を生む。情報を削ることで生まれる密度の高さは、90分という短さを感じさせない。

美術監督を務めたミカエル・ロベールは『神々の山嶺』でも仕事をした人物で、2Dアニメーションの上品さと純度を高めることに貢献している。

さらに本作には、視覚設計そのものがテーマを語るという仕掛けがある。ペラン監督は2Dと3Dをテーマ的に分割する方針を早い段階で決め、人間は人の手による2Dで、ロボットはコンピューターによる3Dで描くことにした。人間が人間を描き、機械が機械を描く——というように、制作の二面性とスクリーン上の二面性を一致させようとした。ただしそのルールには深みがある。この選択はキャラクターの視点に基づいており、自分が人間だと思っているロボットは手描きで表現される。カルロス自身の自己認識の旅を可視化するための重要な演出だ。

脚本の緻密な設計

登場人物のほぼ全員が、終盤の着地に関わっている。世界観説明のためだけに存在するキャラクターがほとんどなく、すべてのシーンと台詞に意味がある構造。一見「捨て駒」に見えた人物が核心に絡んでくる伏線の精度は、観終わったあとにストーリーを振り返りたくなる完成度がある。ただし、気軽に流し見するにはやや難易度が高い。

脚本はペラン監督が、TVシリーズ『LASTMAN』でも組んだ脚本家ローラン・サルファティと共同で手がけた。プロデューサーのディディエ・クレストは本作の構造を「『チャイナタウン』を『ブレードランナー』の世界に持ち込んだもの、レイモンド・チャンドラーとフィリップ・K・ディックの組み合わせ」と表現している。

古典SFへの参照と、その先の問い——ラストが残すものをめぐって

『攻殻機動隊』(1995)、『ブレードランナー』(1982)、『ターミネーター2』(1991)など、SF史上の重要作への意識的な参照が随所に散りばめられている。ただしそれは引用にとどまらず、資本主義・AIの自律・身体の所有という現代的な問いと接続される。

「ロボットが知性を持てば人間を殺しに来ると想像しがちだが、ロボットが人間になりたがる映画も多い。いずれにせよ人間が基準点になっている——そこが少し傲慢だと思ったので、その前提を覆したかった」とペランはVarietyのインタビューで語っている。

この問いはラストシーンへと収束する。結末そのものはここでは明かさないが、終わり方は「勝者がいる解決」ではない。喪失とある種の開放が同時に成立するその構造が、観た人それぞれに異なる余韻と解釈の余地を残す。この映画について「どう終わったか」よりも「何が残ったか」を問いたくなるとすれば、それが本作の意図した着地点なのだと思う。

制作背景

企画の発端——「死ぬ前に一本SFを」

「死ぬまでに少なくとも一本SFを撮りたいと思い続けてきた。いくつかの企画を立ち上げようとしたが、そのたびに頓挫するか却下されてきた」——ペランはAnimation World Networkのインタビューでそう述べている。転機は、フランスのアダルト向けアニメシリーズ『LASTMAN』(2016)の成功だった。『LASTMAN』シーズン1の成功を受けて、監督はプロデューサーのディディエ・クレストにSFを作ることを提案した。フランス4での初放送では毎夜平均20万人以上が視聴し、Netflixフランスでは70万回以上再生された。この実績が長編映画への扉を開いた。

アニメーション手法——ライブアクションを動かす

「人間はよりロボット的になり、人間はコンピューターインターフェースに目で接続できる世界だ。だから『自然』と『人工』の対立をミザンセーヌそのものに埋め込み、実写のルールや慣習を混入させることでそのコードを曖昧にしたかった」とペランは語る。その実現のため、ペランは実写的な映像言語にのっとり、スプリット・ダイオプター・ショットを再現し、レンズに雫を垂らし、広いピントと視覚的な歪みを使った撮り方を採用した。

制作にはフランスの複数スタジオが関与しており、Everybody On Deckによるクラウドファンディングキャンペーンを通じて、アレックス・パイロが数年にわたって制作の様子を記録した全16エポソードのメイキングドキュメンタリーも制作された。

キャスティング

字幕版のアリーヌ・ルビー役には、フランス映画祭で最高峰の栄誉とされる2019年セザール賞主演女優賞(ザビエル・ルグラン監督『親権』)を受賞したレア・ドリュッケールが起用された。カルロスの声はダニエル・ンジョ・ロベが担当。そのカルロスの依頼人となる人物の声には、監督・俳優として知られ、ウェス・アンダーソン監督の『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)など多数の国際作品にも出演しているマチュー・アマルリックが配役されている。レアとマチューはアマルリック自身が監督した『青い部屋』(2014)でもすでに共演しており、息の合った関係性が声劇にも滲み出ている。

受賞・ノミネート歴と日本展開

第76回カンヌ国際映画祭への公式招待を皮切りに、アヌシー国際アニメーション映画祭2023長編コンペティション部門への選出、さらにアニメ界のアカデミー賞と呼ばれる第52回アニー賞では長編インディペンデント作品賞ノミネートを果たした。2024年・第2回新潟国際アニメーション映画祭でも長編コンペティション部門に上映されている。

日本公開(2026年1月30日)にあたっては、ペラン監督が敬愛するクリエイターたち——大友克洋、小島秀夫、磯光雄——から絶賛コメントが寄せられた。大友克洋はバンド・デシネの感覚を持ったアニメの誕生を歓迎し「こんな作品を待っていました」と述べた。これを受けてペラン監督は「Oh-my-god!!! 私が愛してやまない作品を手がけた方々から言葉をいただけるなんて、とても感動的なことです」とコメントした。

影響源とフランスSFアニメの系譜

ペランはブライアン・デ・パルマの仕事からも、押井守・今敏・川尻善昭・りんたろうといった成熟した観客向け日本アニメからも、同様に強くインスピレーションを受けた。「バンド・デシネの視覚文法と日本アニメのSF精神が交差する地点に立つ」という本作の狙いは、映像設計の隅々にまで貫かれている。

感想

観終わったあと、ひとことで言えない感情が残った。悲しいわけでも、爽快なわけでもない。その「言えなさ」こそが、この映画の核心なのだと思います。

物語の構造は一見、よくあるSFノワールの形を取っている。私立探偵と相棒のアンドロイドが企業の依頼で事件を追い、やがてより大きな陰謀に巻き込まれていく。けれども、本作はその「よくある」という前提を最大限に活用している。世界観の説明を省略できるのは、観客がすでにこのジャンルの文脈を知っているからで、そのぶん脚本のリソースはすべてキャラクターと伏線の精度に注ぎ込まれている。登場人物のほとんどが終盤の構造に絡んでくる設計は、89分という短さを考えると驚くほど緻密だった。

ただ、それゆえの難易度もある。一つ一つの台詞や出来事を流さずに受け取っていないと、最後の関係性が追いづらくなる。気軽に見られる映画ではない、と正直に言っておきたい。SF映画の系譜に慣れた人ほど飲み込みやすく、初見でフラットに観ると、序盤の情報量に戸惑うかもしれません。

絵のテイストについていうと、メビウス(ジャン・ジロー)の影響が色濃く出ている。一見すると淡白で、情報量を削った線。だがその「削り方」が、キャラクターの表情の機微にかえって集中させる。過剰な動きを排することで、わずかな動作が重みを持つ。日本アニメが「動き」で感情を表現するとすれば、本作はその逆の方向から感情を引き出そうとしている。バンド・デシネの文法と日本アニメの精神を交差させるという狙いは、このビジュアルの設計にもよく表れていました。

今敏(『パーフェクトブルー』『千年女優』など心理的・幻視的表現で知られる日本の監督)の影響は、特定のシーンで強く感じた。アリーヌが失われた後、カルロスが幻覚を見る場面。それまでの描写とはっきりとトーンが異なる。ロボット(アンドロイド)が「夢を見る」という表現——これは今敏が構想したまま完成しなかった遺作『夢見る機械』(2010年、今敏逝去により未完)の主題と重なる。「生物がいなくなった未来でロボットたちが理想の地を目指して旅をする」という構想を、監督ペランが別の形で継承しようとした可能性がある。そう読むと、本作のラストで全てのロボットたちが別の星へ向けて旅立つという流れは、単なる物語の決着ではなく、未完の問いへの応答として機能している。

人間とロボットというテーマ自体は、この分野ではほぼ語り尽くされたものといっていい。それでも本作が新しい呼吸を持っているとすれば、根底に流れる資本主義批判の鋭さと、アンドロイドであるカルロスが「自分はすでに死んでいる、人間に都合よく使われている」という自覚に至る描写の丁寧さによるところが大きい。彼がその身体を——つまり資本主義的な社会構造のなかで課せられた役割を——脱ぎ捨てていく流れは、「解放」という言葉を改めて問い直させる。

アリーヌとカルロス、二人の主人公の関係性も印象に残った。アリーヌの過去は多くが語られない。それでも、男性への感情や過去の傷が表情の端々から滲み出ている。その「語らない」という選択が、カルロスの詳細な描写と対照をなして、二人のバランスを形成している。語りすぎないことで、かえって観客の想像が埋めるべき余白が生まれていた。

ハッピーエンドでもバッドエンドでもない、という形の映画は少なくないが、ここまで複雑な感情の層を持つ結末は珍しい。主人公たちにとっての喪失と、より大きな視点から見たときの「win-win」の可能性が、同時に成立してしまっている。その両方を正直に感じさせるラストが、この映画を記憶に残るものにしていると思います。

他の人の見方

『攻殻機動隊』や『ブレードランナー』のDNAを受け継いだハードSFとして好意的に評価する声が多い。大友克洋・小島秀夫・磯光雄ら日本アニメ・ゲーム界のレジェンドたちが本作の完成度と世界観に最大級の賛辞を送った。一方で、「情報密度が高く一度では消化しきれない」「キャラクターの掘り下げが薄い」という指摘もあり、初見での難解さを挙げる声もある。Screen Dailyは「本作はAIとの関係についていまようやく問い始めた問いと格闘する、視覚的にスタイリッシュなSF」と評した。アヌシー国際アニメーション映画祭やアニー賞でのノミネートは、フランス発の劇場向け長編SFアニメとして国際的に評価された証左として言及されることが多い。

よくある質問

タイトル「マーズ・エクスプレス」にはどんな意味がありますか?

「マーズ・エクスプレス(Mars Express)」は、現実に存在する宇宙探査機の名称でもある。欧州宇宙機関(ESA)が2003年6月に打ち上げた火星探査機で、ESA初の惑星探査ミッションとして知られる。映画のタイトルはこの探査機へのオマージュを含みつつ、「火星行き急行」という字義通りの意味でも機能している。作中の舞台となる22世紀の火星が、すでに人類の「次の拠点」として機能している世界観とも響き合う命名だ。

原作はありますか?

原作となるコミックや小説は存在しない。本作はジェレミー・ペランの長編デビュー作であり、脚本はペランとローラン・サルファティによるオリジナルストーリーである。バンド・デシネ的な絵柄を持つことから原作があると誤解されることがあるが、企画段階からオリジナルの映画として開発された。

監督ジェレミー・ペランの他の代表作は?

ペランは長編デビュー前、フランスで大きな話題を呼んだアダルト向けアニメシリーズ『LASTMAN』(2016)の監督として頭角を現した。フランス4での初放送では毎夜平均20万人以上が視聴し、Netflixフランスでは70万回以上再生された人気シリーズだ。また短編映画やミュージックビデオの制作でも実績を持ち、シンガーソングライターDyEの楽曲「Fantasy」のMVなどを手がけたことでも知られる。

声優レア・ドリュッケールはどんな女優ですか?

レア・ドリュッケールはザビエル・ルグラン監督の『親権』(Jusqu’à la garde, 2017)でDV被害を受ける母を演じ、2019年のセザール賞主演女優賞を受賞した。マチュー・アマルリック監督の『青い部屋』(2014)やカトリーヌ・ブレイヤ監督の『ラスト・サマー』(2023)など、フランスを代表する監督たちとの共演歴を持つ実力派だ。本作ではその抑制の効いた演技スタイルが、アリーヌの「語らない」人物像に見事に合致している。

ラストシーンはどんな意味を持ちますか?(ネタバレなし)

本作のラストは、勝者がいる形の「解決」ではない。主人公たちの喪失と、より大きな視点から見たときの開放が同時に成立するという、複数の読み方を許す構造になっている。今敏が未完のまま遺した『夢見る機械』の問い——「ロボットたちが自分たちの場所を求めて旅する」というテーマ——と共鳴するとも読める終幕は、「人間にとっての結末」と「アンドロイドにとっての結末」が別の意味を持つことで、観た人それぞれの感情を引き出す。核心は観てから確かめてほしい。

こんな人に

・『攻殻機動隊』や『ブレードランナー』が好きで、その系譜の新作を探している人
・バンド・デシネや、フランスのアニメーション表現に興味がある人
・ハッピーエンドでもバッドエンドでも終わらない、複雑な余韻を持つ映画が観たい人
・AIや身体の所有・資本主義の問題意識を、エンターテインメントとして消化したい人
・SFにあまり馴染みがなくても、89分という短さとシンプルな探偵物の構造があるため、SF入門作としても手が届きやすい

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