視聴方法
DMM TV、Lemino、J:COM STREAM、TSUTAYA DISCASで取り扱いあり(2026年6月時点)。見放題・レンタルの区分や最新状況は各サービスで要確認。
あらすじ
1994年、ソウル。14歳の少女ウニは、両親・兄・姉と狭いアパートで暮らしている。家族はいる、友達もいる。でも、誰かに本当に「見てもらえている」という感覚がない。そんな日々の中、ウニが通う漢文塾に、不思議な雰囲気の女性教師ヨンジがやって来る。自分の話に耳を傾けてくれる彼女に、ウニは心を開いていく。韓国社会が変化を加速させる時代を背景に、ある少女の「ある時期」を丁寧に切り取った138分。
見どころ
言葉にならない孤独の、精密な解剖
家族に囲まれながらも孤独。いじめや虐待があるわけじゃない。それでも何かが満たされない。この映画はそういう、名前をつけにくい心の状態を、台詞より先に佇まいや間で描いていく。ウニが置かれた状況を「説明」するのではなく、そっと「見せる」演出の繊細さが際立っている。
1990年代の韓国を舞台に、思春期の少女の揺れ動く思いや家族との関わりを繊細に描いた本作。それを可能にしているのが、蜜を求めるはちどりのように疲れを知らず羽ばたき続け、生きる理由を探し回るウニという人物造形だ。静かで地味といえば地味な映画なのに、観終わった後の手触りがずっと残る。自分の記憶と接続するタイプの感想が世界中で生まれ続けているのは、そういう理由からだと思う。
ヨンジ先生との短くて深い時間
先生との場面は、映画の中でそれほど多くない。それでも、スケッチブックを手渡すひと言、漫画を描くことへの肯定、目線の向け方——短い交流のひとつひとつに「ちゃんと見ている」という意思が宿っている。量より質、という言葉がそのまま映像になったような関係性だ。
ヨンジを演じたキム・セビョクは1986年10月24日生まれ。レンタルビデオショップを経営する両親のもとで多くの映画を観て育ち、20代半ばに役者を志した。ホン・サンス監督『それから』(2017)などで知られる演技派で、ここでも”説明しない芝居”の精度を見せている※1。
1994年という時代の刻印
1988年のソウル・オリンピックを経て高度経済成長を駆け抜けた韓国が、その「歪み」を表面化させ始めたのが1994年だった。同年、ソウル中心部を流れる漢江にかかるソンス大橋が突然崩落するという大惨事が起き、韓国の国民に大きな衝撃を与えた。本作は、この事故をクライマックスに、社会全体を覆っていた空気、劇的に変化する韓国社会の前夜を、一人の少女の心の動きを軸に丁寧に映し出している。
個人の日常と社会の地盤沈下が交差するとき、得られるものと失われるものの重さが浮かび上がる。「ウニの成長映画というだけでなく、韓国社会の成長も含んでいる」と監督自身が語る通り、本作は私的な物語であると同時に、ある国の輪郭を切り取ったドキュメントでもある※2。
「説明しない暴力」という選択
兄が妹に暴力を振るうシーンを、本作は正面から映し出さない。「映像を最小限に抑え、鼓膜破裂部分のみ映し、他は音で表現した」と監督は語る※3。観客を疲弊させない設計が、結果としていちばん深いところに痛みを残す。”見せる/見せない”の判断ひとつとっても、本作の細やかさが滲んでいる。
制作背景
監督・キム・ボラとは何者か
監督・脚本はキム・ボラ。1981年11月30日生まれ。東国大学映画映像学科を卒業後、コロンビア大学院で映画を学んだ。在学中から映画への眼差しを磨き、2011年に監督した短編『リコーダーのテスト』が、アメリカ監督協会による最優秀学生作品賞をはじめ各国の映画祭で受賞し注目を集める。同作品は2012年の学生アカデミー賞の韓国版ファイナリストにも残った。
『はちどり』は、この短編『リコーダーのテスト』の長編バージョンにあたる。9歳だったウニが14歳になった姿を、長編で描き直したのが本作だ※1。
脚本:悪夢から生まれた7年間
脚本の起点は2013年。サンフランシスコで脚本執筆中の監督が、「もう一度中学時代をやり直す」という悪夢を見たことが出発点だったと語っている。そこから粘り強く改稿を重ね、プロジェクト全体の完成まで実に7年を要した。
本作が初長編となるキム・ボラ監督が、自身の少女時代の体験をもとに描いたことも、この物語が持つ生々しい手触りの源泉になっている。フェミニストとして自認するキム監督は、韓国の画一的な教育制度に抑圧感を覚えてきたと語る。芸術高校時代には、クラス委員に選ばれた女子生徒が教師から男子生徒に席を譲るよう圧力をかけられる場面を目撃したこともあったという。
キャスティング:3年越しのウニ探し
本作で最も時間がかかったのが主役の選定だった。キム・ボラ監督はウニ役のパク・ジフを見つけるのに3年を費やした。オーディションでヨンジ先生との静かな対話シーンを読ませたとき、監督は「求めていたすべてがそこにあった」と語っている。
オーディションで演じたのは先生との静かな対話シーン——映画の中でウニの感情がもっとも色濃く滲む場面だった。パク・ジフはその読み合わせで見事にそれをやってのけた。当時まだ小学生だったパク・ジフは、本作の撮影時点で15歳。
撮影と美術:1994年を再構築する42日間
撮影は2017年9月11日から同年10月22日までの42日間、計32回行われた。主人公のウニが住んでいる家は、ソウル特別市の大峙洞にあるアパートを1か月かけて1994年当時の世相に合うように再構築したセットである。
撮影監督カン・グクヒョンの方針は、時代考証に可能な限り忠実に、リアリティを最優先にした映像を作ることだった。江南エリアの古い団地を緑の背景に子どもたちが弾む夜のショットには『ヤンヤン 夏の思い出』のような郷愁感が込められ、ウニの自宅の室内は夕暮れに独り横たわる、あの不思議に霞んだ感覚を伝えるよう、日を追うごとに暗く設計されていった。
資金調達:8か所に断られた末の完成
商業映画業界で『はちどり』に投資しようとする人はひとりもいなかった。8か所ほどにあたってみたが全部断られた。それでも監督は諦めず、韓国映画振興院、ソウル映像委員会、釜山国際映画祭のアジアン・シネマ・ファンドなどの公的助成を積み上げ、さらにサンダンス・インスティテュートのフィーチャー・フィルム・プログラムからポストプロダクション支援を受けて完成にこぎつけた。
公開と受賞:「韓国映画界に変化をもたらした」
2018年釜山国際映画祭での初上映を皮切りに、ベルリン国際映画祭をはじめ国内外の映画祭で50を超える賞を受賞。米国では第18回トライベッカ映画祭でワールドプレミアが行われ、最優秀国際長編映画賞・最優秀主演女優賞・最優秀撮影賞の3冠を達成した。
韓国では2019年8月に公開され、単館公開規模ながら観客動員15万人に迫る異例の大ヒットとなった。「独立映画は1万人で好調、5万人で大ヒット」という業界感覚を軽々とひっくり返した数字だ※3。日本でもコロナ禍で映画館休業明けのなか連日満席が続出し、単館規模からシネコンへ拡大公開となるヒットとなった。
『はちどり』公開当時、韓国映画界では偶然か必然か女性監督の映画がたくさん封切られ、釜山国際映画祭で初めて監督の男女比がほぼ半々になったと監督は語っている。一本の独立映画が業界の地形図を変えた、と言っても大げさではない。
関連書籍
本作の脚本・対談・寄稿・監督への最新ロングインタビューをまとめた書籍『はちどり 1994年、閉ざされることのない記憶の記録』(オークラ出版)が日本語で刊行されている。ウニとヨンジ先生の余韻を文字で辿り直したい人にとっては、もうひとつの”続編”になる一冊だ※4。
感想
映画館で観た。人が結構いたから必死で涙を堪えた。ちょっと出てしまったけれど。
思い出すほど、素敵な映画になっていく。そういう映画がある。観終わった直後より、翌朝のほうが好きで、一週間後にはもっと好きになっている。『はちどり』の考察を重ねるほど、作品の輪郭がくっきりしてくる。そういう映画だった。
ストーリーを説明しようとすると、どうしても安っぽく聞こえてしまう。それはこの映画が、ウニという少女の長い人生のある時期を「ただ切り取っただけ」のものだから。劇的な展開があるわけじゃない。静かで、地味といえば地味だ。でも、その淡々とした日常の描写が繊細で生々しくて、それだからこそ、強い喪失感がくる。自分の大事なものが失われてしまった感覚——フィクションの中の出来事なのに、どこか自分のものが奪われた気がした。
家族もいる、友達もいる。いじめも虐待もない。なのに、何かが満たされていない。心を許せる人が誰もいない。誰も自分のことを見てくれていない。悲しいとも言い切れなくて、自分が辛い状況にいることすらはっきり気づけていない。だから相談もできない。
こういう状態、身に覚えがある人はいないだろうか。
そこへすっと入ってきたヨンジ先生の存在。描写の時間は決して多くない。それでも、ウニが漫画を描くことが好きだと打ち明けたとき、それを尊重してスケッチブックをプレゼントしてくれる。「あなたはあなたでいい、全然変じゃない」——韓国の格差・競争社会への静かな反発が、そのひと言に込められていると感じた。
先生が去り際に残した手紙の言葉。
「悪いことが起こっても、それと共にうれしいことも起こる。私たちはいつも誰かに会って何かを分かち合う。世界はとっても不思議で美しい。」
こんなに悲しい出来事が起きても、きっと嬉しいことがやってくるはずだ——そう信じさせてくれる言葉だった。
14時と11時を間違える描写が印象に残っている。大人には些細なズレかもしれない。でもウニにとって、それはとても大事でとても大きなことだった。映画全体を通じて、こういう「何気ない言葉や行為がウニに与える影響」が繊細に積み重ねられていた。冷めた大人の忙しい世界で、立ち止まって見てくれる人がいるということ。その重さを、この映画はしつこく説明せず、ただそっと示してくれた。
そして観終わってから知ったこと。1994年というあの設定は、聖水大橋崩落事故という現実の出来事を視野に入れて選ばれていた。施工不良で橋が落ちる——高度成長期の歪みが、ある朝突然、目に見える形で現れた瞬間。ウニという少女の内側で起きた小さな崩落と、社会のほうで起きた大きな崩落が、同じ年に並走している。そう考えると、終盤に訪れる喪失の手触りが、もう一段深いところで腑に落ちる気がした。
韓国映画はこういう作品も生み出してくるし、それを受け入れる土壌があるということが、本当に羨ましかった。
他の人の見方
観客レビューでは「子供の頃の思い出が詰まっていた」「社会模様や恋愛、家族模様をリアルに描いていてスローな回しがより生々しく感じた」「14歳の女の子にとってこの世界は複雑すぎるし、孤独すぎる」といった、自分の記憶と接続するタイプの感想が目立つ。
肯定派は「劇的な展開がないからこそ感情の機微が際立つ」「ウニとヨンジ先生の短い交流に救われた」と語る一方、「テンポが緩やかで難解に感じた」「物語の輪郭が掴みにくい」と感じる層も一定数いる。”刺さるか刺さらないか”がはっきり分かれるタイプの作品でもある。
海外での反応も早かった。トライベッカ映画祭では最優秀国際長編映画賞・最優秀主演女優賞・最優秀撮影賞の3冠を達成。当時15歳のパク・ジフが最優秀主演女優賞を獲った事実は、世界が「韓国の小さな独立映画」をどう見ていたかをよく物語っている。その後のパク・ジフは、ドラマ『今、私たちの学校は…』(2022年)、映画『コンクリート・ユートピア』(2023年)などに出演し、女優としてのキャリアを着実に積んでいる。本作を「彼女のキャリアの始点」として観返す未来も、もうすぐそこに来ている。
よくある質問
タイトル「はちどり」にはどんな意味がありますか?
世界で最も小さい鳥のひとつでありながら、その羽を1秒に80回も羽ばたかせ、蜜を求めて長く飛び続けるはちどりは、希望・愛・生命力の象徴とされる。その姿が主人公のウニと似ていると思った、と監督は語っている。また、「蜂なのか鳥なのか分からない存在”はちどり”は、子どもでもなく大人でもない中学生にぴったりの愛称だ」と監督はコメントしている。
実話・自伝的な要素はありますか?
本作が初長編となるキム・ボラ監督が、自身の少女時代の体験をもとに描いた作品だ。監督自身は「ヨンジだと思ってシナリオを書き始めたが、自身のなかのウニと何度も出会うことになった」と語っており、完全な自伝ではないものの、監督の記憶と感情が深く刻まれた半自伝的作品といえる。
原作はありますか?
原作小説は存在しない。脚本はキム・ボラ監督が2013年から書き始めたオリジナルで、完成まで5年近くを要した。短編『リコーダーのテスト』(2011)を前史に持つ「ウニ」というキャラクターを長編で発展させた作品であり、監督の純粋なオリジナル脚本だ。
監督の次回作は何ですか?
キム・ボラ監督の次回作は『スペクトラム』(仮題)で、人気SF作家キム・チョヨプの短編集『わたしたちが光の速さで進めないなら』に収録された同名短編の映画化だ。作品は言語と感覚を通じた人間と宇宙人のコミュニケーションを描くSF映画で、『はちどり』とは大きく異なるスケールの新境地に挑む。
受賞歴を教えてください。
2018年釜山国際映画祭での初上映以降、ベルリン国際映画祭をはじめ国内外の映画祭で50を超える賞を受賞した。米国トライベッカ映画祭では最優秀国際長編映画賞・最優秀主演女優賞・最優秀撮影賞の3冠を達成。韓国国内では映画大賞にあたるパクサン芸術大賞で最優秀監督賞を受賞するなど、国内外で高い評価を得た。
こんな人に
・「なんとなく孤独だけど、うまく言葉にできない」という感覚を知っている人
・「見てくれる大人がいた/いなかった」10代の記憶を持つ人
・韓国社会の競争とその歪みを、物語を通して感じたい人
・静かでゆっくりとした映画が好きな人、あるいは最近そういう映画を観ていない人
・派手なアクションや複雑な展開がなくても楽しめるか不安な人——この映画は「何も起きない日常」に宿る感情の機微が主役なので、映画慣れしていなくても、自分の記憶と照らし合わせながら自然に入り込める作品だ
・観終わったあとも作品を反芻し、考察を深めたいタイプの人(書籍『はちどり 1994年、閉ざされることのない記憶の記録』が深堀りの相棒になる)
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