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『どうすればよかったか?』考察・感想|問いを手放せない映画(ネタバレなし)

『どうすればよかったか?』—答えはあった。それでも、問いは残った

統合失調症を発症した姉と、その姉を精神科の受診から遠ざけた医師の両親。弟である藤野知明が20年以上にわたって家族にカメラを向け続けた、実録セルフドキュメンタリー。「どうすればよかったか」という問いは、スクリーンを越えて観客自身へと向けられてくる。

監督 藤野知明

主演 藤野知明(監督本人)、姉、両親

製作年 2024年

製作国 日本

上映時間 101分

配給 東風

ジャンル ドキュメンタリー(セルフドキュメンタリー)


※本記事にはアフィリエイトリンクを含みます。


目次

視聴方法

2026年6月時点では、配信サービスでの取り扱いは確認されていない。配信状況は変動するため、各サービスで要確認。

あらすじ

優秀な医学生だった姉に、統合失調症の症状が現れ始める。医師である両親は娘の病を認めず、精神科への受診を避け続けた。やがて自宅の玄関に鎖と南京錠がかけられる。弟である監督・藤野知明が20年以上にわたってカメラを家族に向け続けた、セルフドキュメンタリー。

「どうすればよかったか」という問いは、正解を提示するためではなく、答えの出なかった時間そのものを共に抱えるために置かれている。

見どころ

映画として撮ろうとして撮られたわけではない映像が、結果としてどんな演出も及ばないリアリティをつくり出している。

20年以上の記録が生む、圧倒的なリアル

カメラを手に持ったのは弟である監督自身。20年超という時間の蓄積が、どんな演出も及ばないリアリティをつくり出している。作ろうとして作られなかった映像だからこそ、そこに映る家族の表情や言葉は生々しく、見る者の胸に直接刺さってくる。

「医師の家族」という特殊な葛藤

知識があるゆえの否認なのか、愛ゆえの否認なのか。本作を単純な「家族の記録」にとどまらせないのが、両親が医師でありながら娘の病を認めなかったという事実だ。当時はまだ統合失調症が「精神分裂病」と呼ばれ、治療法も診断基準も曖昧だった時代。その時代背景が、問題をさらに複雑にしている。

「映画とは何か」という根本的な問い

本作はもともと映画として撮られたわけではない。その事実が、ドキュメンタリーの本質とは何かを問いかけてくる。映画として「作らないこと」が、かえって真のドキュメンタリーを完成させてしまう。この逆説を体感できる一本だ。

制作背景

監督・撮影・編集・構成のすべてを担ったのは藤野知明本人。制作・撮影・編集を淺野由美子、編集協力に秦岳志、整音に川上拓也が参加。製作は動画工房ぞうしま、配給は東風が手がけた※1。

藤野監督は1966年北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部林産学科を7年かけて卒業し、横浜で住宅メーカーに営業として2年勤務したのち、1995年に日本映画学校映像科録音コースに入学した。卒業後は近代映画協会でADとして勤務したのち、CGやTVアニメの制作会社、PS2用ソフトの開発会社に勤務しながら映像制作を続け、2012年に家族の介護のため札幌に戻り、2013年に淺野由美子と動画工房ぞうしまを設立。主にマイノリティに対する人権侵害をテーマとして映像制作を行っている。

姉が発症したと思われる日から18年後、映像制作を学び映像の仕事に就いていた藤野監督は帰省ごとに家族の姿をカメラに収め始める。以来20年、帰省のたびに撮影を重ねることになった。撮影の発端は、何か事件になってしまった時のための証拠として記録するためだったという。その後、姉が入院して一定の回復を見たこと、また癌で姉が他界したことによって、ドキュメンタリー映画として発表しようと考えるようになった。

山形国際ドキュメンタリー映画祭2023日本プログラムに正式招待されたほか、座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル2024のコンペティション部門でも上映された。山形国際ドキュメンタリー映画祭での上映直後に配給会社から連絡を受け、劇場公開へとつながったと藤野監督自身が語っている。※2

2024年12月7日にポレポレ東中野(東京)、シネマ・ジャック&ベティ(横浜)、シネ・ヌーヴォ(大阪)など全国4館で公開。ポレポレ東中野では55回連続満席、ミニシアターランキング3週連続1位を記録。公開45日で全国41館・動員65,792人・興収1億60万498円を突破し、2025年1月24日からはイオンシネマを中心に100館以上へと拡大公開された※3。その後も上映は続き、動員数は16万人を突破(2025年12月18日時点)。興行収入は約2億円に達し、ドキュメンタリー映画としては異例の大ヒットとなった。

映画の大ヒットを受け、同名書籍『どうすればよかったか?』(文藝春秋)が2026年1月29日に刊行され、累計発行部数2万部を突破した。映画では収めきれなかった家族の事実や監督自身の感情が、著者の言葉で綴られている※4。

感想

答えのない映画だと思っていた。タイトルからして、そうとしか読めなかった。

でも、違った。最終的には、しっかりと答えが提示されていた。では、なぜこのタイトルなのか。それは「結果としての解」でしかなく、「過程での解」ではないから——そう感じた。原因がわからない、どうすればわからない問題に陥った時のために、共にどうすればよかったかを考えようという想いが込められているのだと思う。

事前に同じく統合失調症を扱ったドキュメンタリー映画『ドコニモイケナイ』を見ていたこともあり、発症した人にとっては見えているものがすべて現実であり、自分の考えをうまくまとめられないがゆえに混乱し、被害妄想や攻撃的な言動をとるということは、ある程度理解していた。だから思っていたほどの衝撃はなかった。

ただ、本作の問題はより複雑だ。当時はまだ「精神分裂病」と呼ばれていた時代。治療法も、診断基準も曖昧だった。そんな時代にその病を発症した姉。そしてどう対処すればいいかわからない家族。姉を病気と判断することが逆に症状を悪化させるかもしれないという医者の言葉。世間体なのか、愛なのか。両親は姉を病院に入院させず、家に閉じ込める選択をした。

この辺りは本当に難しい。過去の映像を見ると、両親が娘を深く愛していたことは確かに伝わってくる。だから自分としては、姉のことを思ってのことだったと思いたい。でも、真相はわからない。

印象に残ったのは、家に来た知人のおばさんの対応だった。急に怒り出した姉に対して、お茶を差し出す。怖がって当然の場面で、笑顔と優しい声で話しかけ続ける。そしてわずかに頷く姉。対話の重要性を、言葉ではなく映像で突きつけられた気がした。

そして、これをドキュメンタリー映画と呼ぶことへの問い。監督自身もそう述べていたが、本作はもともと映画として作られたものではない。姉の症状を記録し、問題解決の糸口を探るための撮影が始まりだった。姉が回復したことで世に出せるものになった。映画として「作らないこと」こそが、真のドキュメンタリーを完成させてしまう。この逆説が、ずっと頭に残り続けている。

答えが示されていても、もし自分だったらと考えずにいられない。考えても、答えが出ない。そんな映画だった。

姉の最後が、少しでも良い時間だったらいい。

他の人の見方

Filmarks上の平均スコアは4.1(16,839件)と高く、「辛い気持ちになるかなと思ってたけどそんなことなかった。たくさんの間違いがあったはずなのに、観終わった時には愛を感じられる不思議な映画」「父親の若い頃からラストまでが1本の映画に収められている時間の重みがある」と、家族の長期記録としてのドキュメンタリーの強度を称えるレビューが目立つ※5。「ドキュメンタリーとしての倫理と誠実さ」「家族全員への深い視線」を評価する声のほか、「統合失調症への偏見をなくすきっかけになった」という声もある。

映画作家の想田和弘(『選挙』シリーズで知られる観察映画の作り手)をはじめ、映画監督・作家の森達也(『A』シリーズのドキュメンタリスト)、精神科医の星野概念、哲学者の永井玲衣など10名が推薦コメントを寄せており、医療・哲学・映画の各領域から高い評価を受けている※6。

こんな人に

・家族の病気や介護と向き合った経験がある人
・ドキュメンタリー映画の「作ること」と「記録すること」の境界線に興味がある人
・統合失調症や精神疾患について、当事者家族の視点から理解を深めたい人
・「正解のない問いと、それでも向き合い続けること」というテーマに共鳴する人
・ドキュメンタリー映画を見たことがない人にも。物語ではなく「本当にあったこと」の重みを、映画館で体感できる一本

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