視聴方法
2026年7月時点では主要VODサービスでの取り扱いは確認されていない。配信状況は変動するため、最新情報は各サービスで要確認。自主上映会や単館系劇場での上映情報も随時チェックしてほしい。製作・配給元であるサイレントヴォイス(silentvoice.or.jp)の公式サイトが最も信頼できる一次情報源だ。
あらすじ
東日本大震災による津波被害に遭った人々への聞き取りを重ねた『なみのおと』に始まる東北記録映画三部作の第2弾。震災から約1年後、原発事故の不安に海水汚染、風評被害に揺れる福島県新地町に暮らす人々の声を掘り起こしていく。
岩手県から福島県におよぶ広範囲で取材を行った前作に対し、本作では地域を福島県相馬郡新地町に絞って6組10名の対話を収録している。震災から1年という時間が経過した中で、夫婦・親子・友人・仕事仲間たちが親しい相手と真正面から向き合い、当時の心境とその後の日々を静かに語り合う。カメラは彼らの顔を真正面からとらえ、言葉と沈黙の両方を丁寧に記録していく。
見どころ
真正面からのカメラが引き出す、生の声
本作最大の特徴が、対話する二者を真正面から映し続けるカメラアングルだ。夫婦、親子、兄弟、姉妹、同僚といった親しい関係にある人々が、あらためてそれぞれ相手と向かい合い、震災と向かい合い、話を交わす。演出的とも言えるこの構図が、不思議と作為を感じさせない。画面のこちら側に向かって直接語りかけてくるような距離感が生まれ、一言ひとことが頭の中にまっすぐ入ってくる。対話という行為そのものを主役に据えた、静かだが力強い選択だ。
近しいからこそにじみ出る、生々しさ
赤の他人ではなく、親しい間柄の対話だからこそ漏れ出てくる言葉がある。かしこまったインタビューにはない、むき出しの感情。特に漁師の父と息子のやりとりは、ほぼ喧嘩のような自然体で、そこにこそ嘘のないリアルがあった。整えられていない言葉の中に、震災から1年という時間の重さがにじんでいる。なお、新地町の漁業者たちは東日本大震災の津波被害により壊滅的な被害を受け、東京電力福島第一原発事故の影響により操業を自粛していた背景を持つ。海を生業とする人々の声が、この映画の中に確かに刻まれている。
「聞くこと」を支える、監督たちの存在
語ることと同じくらい、聞くことの技術がこの映画を成り立たせている。語ることと聞くこと。聞くことと語ること。今、もっとも忘れてはならない一つの態度を、この三部作は語りかけようとしている。酒井・濱口両監督は相手の話を慎重に受け取り、より深い部分を引き出そうとする。終盤に登場する女性と濱口監督のやりとりは、その姿勢が最も温かく結実した場面だ。「話すのが苦手」と言いながらも一生懸命言葉を探す彼女を、監督がそっと支えている関係性が胸に残る。
制作背景
濱口竜介と酒井耕による東北記録映画三部作は、第一部『なみのおと』(2011)、第二部『なみのこえ 気仙沼編/新地町編』(2013)、第三部『うたうひと』(2013)からなる。2011年の3.11東日本大震災後、二人の監督は宮城県に赴いたが、廃墟となった被災地の現状や被災者の惨状そのものを撮ることをあえてしなかった。数年間にわたりその地に足を運び、被災者の声に静かに耳を傾け、ドキュメンタリーのあらたな方法を見出していった。
『なみのこえ 気仙沼』『なみのこえ 新地町』は、前作の完成から1年以上撮影を継続し、宮城県気仙沼市と福島県新地町の被災者、約20名の対話を新たにまとめたものだ。前作『なみのおと』が岩手から福島まで広域で記録したのに対し、本作は福島県相馬郡新地町という一地域に絞り込み、6組10名の対話を103分に凝縮している※1。
撮影・編集スタッフについては、実景撮影を佐々木靖之・北川喜雄が担当し、整音は鈴木昭彦・黄永昌。制作はsilent voice LLPで、せんだいメディアテーク〈3がつ11にちをわすれないためにセンター〉とNPO法人remoが制作協力に加わった。また機材協力として東京藝術大学大学院映像研究科が参加し、新地町役場・相馬双葉漁業協同組合新地町支所なども協力している。
制作の根幹にあるのは、東北の伝承民話に着想を得た両監督が、被災体験を実感とともに伝えるという意図のもと、近親者同士の対話を記録したという姿勢だ。震災から1年経った福島県新地町で、家屋が流され親しい者たちを失ったにも関わらず、多くの被災者は生き残ったことに負い目を感じているようだった。監督たちは、そうした被災者の声を100年先まで残したいと考えた。
劇映画の手法をドキュメンタリー映画に適用するという前作の様式を徹底させ、「日常と非日常」「被災者と非当事者」「聞くことと語ること」「フィクションとドキュメンタリー」——あらゆる分断線を越えた境界から未踏の現実を生み出し、震災を知らない100年後に暮らす人々と現在の私たちとを繋ごうとした。
津波やガレキの映像を用いることなく被災者の対話を映像に記録することで、震災の記憶がよりリアルに伝わってくるという点は、公開当時から高く評価されてきた本シリーズの最大の特徴だ。
映画祭への出品については、2013年10月10日から始まった山形国際ドキュメンタリー映画祭2013のインターナショナル・コンペティション部門に選出された。今年の同部門には117の国や地域から1153作品が寄せられ、その中から選ばれた15作品のうちの1作として『なみのこえ』が上映された。劇場公開は同年11月9日※1。その後も出町座(京都)をはじめとした全国の単館系劇場や自主上映会で継続的に上映され、震災の記録として長く生き続けている※2。
濱口竜介はこの三部作の後、演技経験のない参加者たちによる長期間のワークショップを経て制作した上映時間5時間14分の『ハッピーアワー』(2015)を発表し、国際的な注目を集める。さらに『ドライブ・マイ・カー』(2021)ではカンヌ国際映画祭脚本賞と第94回アカデミー賞国際長編映画賞を受賞するまでに至る。『なみのこえ 新地町』は、そうした濱口メソッドの核心——「話すことと聞くこと、その間に生まれるもの」——が最も素形のままで刻まれた作品のひとつだ。
感想
泣いたわけではない。でも、何か深いところに触れた感覚が残った。
震災のドキュメンタリーはこれまでたくさん見てきた。だからこそ、この映画が「何を伝えようとしているか」が最初からなんとなくわかった。出来事そのものの重さより、人が言葉を探す姿そのものを撮っている。そこが他と違う。
「震災の話をどれだけ聞いても、それだけでは足りない」——そう気づいたのは観ながらだった。重要なのは、その出来事を頭の中で整理して誰かに語ること、そしてそれを聞くこと。言葉にすることで心が洗われる瞬間というのは、確かにある。この映画はそこを丁寧にすくい取っていた。
漁師の父と息子の対話は笑えるくらい自然体で、良い意味でほぼ喧嘩だった。それがかえってリアルで、整えられたインタビューでは絶対に出てこない何かがそこにあった。一方、終盤に登場する女性のくだりはじんわりと温かかった。「話すのが苦手」と言いながらも一生懸命言葉を探す彼女と、それを引き出すように静かに寄り添う濱口監督の関係。苦手なものを好きだからこそ苦手と感じる——その逆説が、見ていてなぜかとても腑に落ちた。
真正面から撮り続けるカメラアングルについては、同じ手法が使われた同シリーズの『うたうひと』では少しくどく感じた部分もあった。民話という作られた話と作られた構図が重なりすぎたからだと思う。でも本作では逆に効果的だった。カメラを意識せずに自然体で本音を言い合っている人たちを正面から映すと、その人の人柄がそのまま画面から伝わってくる。
そして——正直に書く。陸前高田までボランティアに行ったのに、あの時の感情をすっかり失っていた自分がいた。時間が経つと人は忘れる。それを実感するのが悲しかった。この映画が記録として在り続ける意味を、そこで改めて感じた。
濱口監督がドキュメンタリー出身であることは、彼の劇映画を観るときにも意識するようになった。是枝裕和監督(『誰も知らない』などで知られる)にも同じことを感じる。ドキュメンタリーで培われた「聞く力」が、フィクションにリアリティをもたらしている。この作品はその原点のひとつだ。
他の人の見方
映画レビューサイトの声を見ると、「漁師親子の対話がスリリング」「震災で亡くなった人と病死した人への感覚の違いが複雑に絡んでいる」といった、本作ならではの人間関係の細部に着目した感想が目立つ。
「カメラを真正面に据えた長回しの対話」「家族同士・夫婦同士という近しい関係だからこそ漏れる言葉」「震災から1年という距離感が生む沈黙の重さ」が高く評価される傾向にあり、話すこと、聞くことを通して浮かび上がってくるのは、未だ癒えぬ傷、生き残った戸惑い、そして未来へのほのかな希望だという評価は、複数の文脈で共有されている見方だ。ドキュメンタリーに不慣れな観客からも「会話劇として素直に入れた」という声があるのも、この作品が間口の広さを持つ証拠だろう。
よくある質問
「東北記録映画三部作」とは何ですか?
酒井耕と濱口竜介による東北記録映画三部作は、第一部『なみのおと』(2011)、第二部『なみのこえ 気仙沼編/新地町編』(2013)、第三部『うたうひと』(2013)の3作からなる。両監督は震災後、沿岸部で津波被害に遭った人々の「対話」をテーマに記録映画を撮り始め、やがて東北地方の民話の語り部も訪ねるようになった。『なみのこえ 新地町』はその第二部に位置する作品だ。
本作の撮影手法に特徴はありますか?
監督たちは劇映画の手法をドキュメンタリー映画に適用するという様式を徹底させており、フィクションとドキュメンタリーの分断線を越えた境界から現実を生み出そうとした。具体的には、対話する二者を交互に真正面から映す「切り返しショット」的な構図を用い、インタビューをしていく中で、聞く相手を被災の過酷さや体験談の鮮烈さによっては選ばないということを心がけたという姿勢が、出演者の選定にも反映されている。
前作『なみのおと』と何が違うのですか?
前作『なみのおと』では震災から約半年後、岩手から福島に渡る広域で記録したのに対し、本作『なみのこえ 新地町』は震災から約1年後に福島県新地町に絞り、6組10名の対話を記録している。地域を絞り込むことで、一つの町が震災後1年をどう生きたかが、より立体的に浮かび上がる。また前作より時間が経過した分、感情の語られ方の変化——薄れゆく記憶、生き残りへの負い目——が色濃く出ている点が大きな違いだ。
濱口竜介監督の他の代表作は何ですか?
濱口はキャリアのごく初期から、カメラの前に立つ人物からいかにして真実の感情を引き出しうるかを課題としてきた。『パッション』(2008年)、『親密さ』(2012年)、『ハッピーアワー』(2015年)がその成果だ。その後、『偶然と想像』(2021年)でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞。『ドライブ・マイ・カー』(2021年)ではカンヌ国際映画祭脚本賞とアカデミー賞ノミネートを果たし、Rotten Tomatoesでは98%という異例の高スコアを記録した。
本作は自主上映会や映画祭で観ることができますか?
山形国際ドキュメンタリー映画祭2013のインターナショナル・コンペティション部門に、117の国や地域から寄せられた1153作品の中から選ばれた15作品の1作として上映された。劇場公開後も出町座(京都)などの単館系劇場での継続上映が確認されている※2。VOD配信が整っていない現状では、各地の自主上映会や映画祭のアーカイブ上映が主な鑑賞機会となっている。最新情報はサイレントヴォイス公式(silentvoice.or.jp)で確認してほしい。
こんな人に
・東日本大震災の記録を「出来事」ではなく「人と言葉」として受け取り直したい人
・濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』や『ハッピーアワー』を観て、その演出の源泉を知りたい人
・対話・コミュニケーションそのものに興味がある人——聞くことと話すことの非対称さに何か感じたことのある人
・重い感情を煽らず、静かに深く向き合えるドキュメンタリーを探している人
・ドキュメンタリー映画をあまり観たことがない人でも、長回しの会話劇として入りやすい作品なので、濱口監督作品の入口として試してみてほしい
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